引込線の名称について

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 戦前の陸軍航空工廠時代は「工廠線」、戦後の米軍立川基地時代は「立川基地引込線」、または「立川飛行場引込線」とも呼ぶことができます。一方、国鉄などは「中神側線の名前を使うことがありました。ここでは、統一して「中神引込線」としました。
 
昭和14(1939)秋 陸軍造兵廠名古屋工廠立川兵器製造所が北多摩郡昭和村福島に進出
昭和15(1940).4.1 名古屋工廠が陸軍航空工廠と改称し正式に設立される
昭和17(1942).8.1 青梅線に工廠通勤用の東中神駅が新設される
昭和18(1943).2 この頃、引込線敷設工事が始まる
(農耕地を強制使用し短期間で竣工)
昭和18(1943).7.23 青梅線の立川・中神間が複線化される
昭和18(1943).10.5 引込線運行開始(?)
昭和19(1944).4.1 青梅電気鉄道が国有化される
昭和20(1945).8.15 太平洋戦争終結
(航空工廠を含む一帯を駐留軍が接収)
昭和25(1950).3.10 引込線敷地の賃貸契約締結(国鉄と地主31人)
昭和27(1952).3.31 引込線敷地の賃貸契約解除
昭和31(1956).3 地主が防衛施設庁に対し昭和27年4月に遡り賃貸契約継続を要請
昭和41(1966) 一部地主が防衛施設庁に対し敷地買上げを要望
昭和44(1969).12.1 立川基地の米空軍が飛行停止
昭和46(1971).10.25 中神駅構内で燃料タンク車が横転事故を起こす
昭和48(1973).3.29 引込線敷地を国(防衛施設局)が地主から買収
(売買契約締結)
昭和49(1974).5.24 昭島市長が東京防衛施設局長に対し引込線を市道として利用できるよう要請
(「続 基地とあきしま」)
昭和52(1977).11.30 立川基地が全面返還される
昭和53(1978).7.1 中神引込線が廃止される(「鉄道公報7725号」)
中神駅の貨物取扱廃止
昭和58(1983).10.26 立川基地跡地(元航空工廠除く)に国営昭和記念公園が開設される
昭和62(1987).4.1 国鉄が民営化される
昭和62(1987).7.1 中神駅南北自由通路が完成(翌年に橋上駅舎化)
平成12(2000).3 引込線廃線跡が道路として整備される
(分岐点にモニュメント設置)
平成17(2005).1.1 引込線廃線跡が「中神引込線通り」と命名される
平成29(2017).4.10 航空工廠跡地の一部に市立むさしの公園開園
 (モニュメント設置)

石川重雄「中神側線経緯」1986年などから作成