二 昭島市の位置

7 ~ 8 / 1551ページ
 昭島市の地球上に占める位置を、正確に表現するには、緯度と経度とによって示せばよい。すなわち昭島市は、東経一三九度二〇分より二四分、北緯三五度四一分より四四分の間に位置するという。正確ではあっても、これでは実感が伴わないから、いま少し具体的に言い表わせば、首都東京の都心より、約四〇キロ西に位置する。首都の表玄関である東京駅から国鉄中央線の快速電車を利用して、神田・お茶の水・四谷・新宿を経て、中野より立川まで、武蔵野台地上を一直線に真西に向って走ること五三分、立川駅で青梅線の国電に乗換え、西立川駅・東中神駅・中神駅を経て、昭島駅には九分で、次の昭島市域最西端の拝島駅には一二分で到達することができる時間的距離に位置する。東京駅から立川駅までが三七・五キロ、立川駅より昭島駅までが五キロ、合わせて東京駅-昭島駅間四二・五キロの距離である。
 これを更に地誌学的に言いかえると、いわゆる洪積世の成立とされる広大な武蔵野台地上に立地し、多摩川の北岸に接して、多摩川に沿い東西に細長く連らなる街村的集落を基盤として成立し、近代において急速の発展をとげ、多少の起伏はあるが、概して平坦高燥な、標高八五米内外の、部厚い関東ローム層におおわれた洪積台地を、住宅都市(ベッド・タウン(註二))化して発達しつつある都市である。この台地は、かつては春季の季節風が卓越する頃は、附近の人びとが「赤っ風」と呼んでいた、ロームの砂塵が蒙々と天空高く舞い上がり、青空を一瞬にして赤く染めつくす凄絶な名物として知られていたが、戦後の首都圏整備によって、今では舗装道路が縦横に走り、コンクリートのビル街が形成され、往時の面影を全く一掃してしまった衛星都市としての目覚しい発達を示している。