このような現象が生じたのは、歴史的な因果関係によるものである。江戸時代から農村として発達してきた九ヶ村は、いずれも奥多摩街道にそって街村的な集落を形成し、その周辺に生活空間を展開させてきたのであって、今日の北部地区は、その本村の後背地であり、新田の開発も充分ではなく、砂川村や、村山村につながる山林地帯のまま放置されていた。そして近代になるとこの荒地は、軍用地に接収されたり、あるいは昭和飛行機などの軍需産業の工場地帯に転用されたため、一般住宅街として発達するに至らなかった。戦後軍需産業の崩壊後も、昭島市がその地誌的立地条件から、隣接の立川市の如く急速な衛星都市・ターミナル都市・ベッド・タウン化が進行しなかったので、すでに戦中を通じ、やや都市化が進んでいた南部地区の方に戦後の開発がまず集中して行なわれたため、工場用地の跡地は廃業の後そのまま放置されていた。その間の事情は、北部地区の総面積六・四六六平方粁の内、昭和飛行機株式会社社用地が一・七一七平方粁、米軍立川基地面積一・三二〇平方粁、合計三・〇三七平方粁が含まれていることからも明瞭である。これは全体の四七%を占めることになるので、この地区だけの人口密度は二七六七であり、これを南部地区の四五六四、中央地区の一一四一七という数値に比較すれば、きわめて低く、したがって空閑地面積が今日なお著しく大であることが一目瞭然である。いまこの地区の性格を明らかにするため、九町について、同一町内における北部地区と南部地区との世帯数・人口数・世帯当り人員平均値・面積・人口密度を対比させて、表記してみると上表の如くになる。なお参考のため、一つの同一町域を南部地区と北部地区とに分断している南側のみの五町についても、町別の数値を附記しておく。
市北部地区(宮沢町)
この統計表によって明らかなように、現在の昭島市は、すべての点で、その機能は青梅線の南側の地区に集中している。青梅線の北側はなお空閑地がひろがっており、同一町名を襲用している町ではあるが、青梅線の北側と南側とでは、著しく町の構成や、様相を異にしているのが、この市にみられる顕著な特質である。それだけに昭島市の将来の発展は、空閑地の多い北部地区をどのように開発していくかにかかっていると言えるであろう。
この地区の利用の仕方如何によって、昭島市の将来は大きく左右される。現在昭島市では、南北に分断された二つの地区に同一の地名が、新しい町名として襲用されているが、この点は市民生活の上に色々な不便が生じている。いままでは北部地区に余り住民がいなかったが、将来この空閑地が開発されて、多くの人びとが生活をいとなむようになると、この不便さは増大されるので、やがては昭島市の発展につれて、地名表記の改訂、町名の変更が行なわれるであろう。
以上の記述によって、ほぼ昭島市の輪郭は説明されたと思う。東京都の中でも新しい誕生に属する昭島市は、近代都市として、なお未完成の都市であり、首都圏の膨張とその整備によって、近時俄かに発展を余儀なくされてきた都市である。それだけに将来に向って多くの問題をかかえているが、それらの一つ一つを巧みに克服していくことによって、近い将来における本市の発展が期待されるわけである。
補註並びに引用文献
一 旧東京市域(二三区)の周辺に接して、東京都内のみならず、千葉県や埼玉県などの他県の地域においても、東京市域の膨張がひどくなると、いろいろな不都合が生じるので、戦後特に東京市域の周辺の小都市を育てて、東京市域内の人口を分散させようという、都市計画の一環として生れた、東京市域外縁の都市群をさして、あたかも地球に対する月、すなわち衛星のようなものであるとみて、これらを衛星都市(Satellite City)と名づけた。東京市域の西に接して、武蔵野市・三鷹市・小金井市・調布市・府中市・国分寺市・国立市・立川市など、距離的または時間的に近くて便利のよい隣接地がまず衛星都市として発展した。これらの都市は、東京都区内と離れ、行政・経済・産業・交通などの諸条件の上で独立した存在であるが、それらの都市の住民は、日常生活こそは各都市に基盤を定めているものの、勤務はすべて都心にあり、住宅と勤務地の間を往復し、また高級な買物や、娯楽・レジャーのためには東京都区内のターミナルや、盛り場としての、銀座・日本橋・神田・浅草・上野・新宿・池袋・渋谷などに出かけて用を足すというように、切り離された存在ではなく、相互依存の状態にある。
前記の東京市域に接近して群在する都市群が膨張してくると、更に遠距離の地域に存在する小都市へと、人口が集中していき、それらの都市群の外縁にある、小平市・東村山市・東久留米市・保谷市・田無市・清瀬市・東大和市・武蔵村山市・昭島市・福生市・日野市・秋川市など、漸次遠心的に拡大されていった。また古くから存在し、伝統的機能をもっていた八王子市や、町田市など、かなり都心からかけ離れた位置にあった独立都市も、交通の発達によって衛星都市としての性格を帯びて、新しい機能の上に大発展をしつつある。
二 ベッド・タウン(Bed town)とは、衛星都市の中の一つの機能で、住宅都市的衛星都市をさす。隣接する立川市の如きも、そのはじめは住宅都市としての性格が強く、東京都心への通勤者の住宅・住宅団地が交通機関の発達によって、都心から分離し、外周地帯に誘致された。次第にそれらの中から、機能を拡大してターミナル都市・商業的衛星都市として発展し、第二の都心化してきたものもある。そうなると住宅都市、すなわちベッド・タウンは、更にそれの外縁の地帯に移動しはじめ、以遠の静閑地を求めて移行していく。そのため立川市に隣接する昭島市は、まず立川市の第二都心化によって、ベッド・タウンとして、一般住宅街や、住宅団地がここに集中してきたのである。昭島市の現況をみても、また都市計画(City Planning)をみても、ここでは商業地区や工業地区よりも、住宅地区がかなり広域を占めているので、住宅都市(ベッド・タウン)という性格は、将来も一層強められよう。
三 矢野一郎編、『日本国勢図會』。(一九七六年版)。国勢社。六八~七九頁。
四 昭島市、「統計あきしま」。(昭和五一年版)昭島市企画部企画課。一頁。以下市の統計については主として本統計表を活用している。なお新しい統計については、稲葉薫氏の助力をうけて新たに作成した。