俗に風景とか、景色とか称されるのと、ほぼ同じような意味で、地誌学上の術語として用いられるのが景観 landscape という語である(註二)。それは地球上のある地域に限って分布する特殊な様相をとらえていう場合に用いられる。それで景観はまた景域と言われることもある。景観は、地形・気候・動物相・植物相・産業・集落・人種・宗教・習俗・人口等いろいろな要素が数えられるが、それらを大別して、自然景観 natural landscape と、文化景観 cultural landscape の二つに区分する。自然景観の要素としては、(一)地形 topography (二)気候 climate (三)動物相 fauna (四)植物相 flora などが含まれる。景観地誌学は自然景観を主体として、それに産業 industry ・集落(都市) towns ・人口 population ・習俗 custom などの文化景観の要素を組み合わせて、景観型や景観帯を見出していこうとする。多摩川の氾濫原が、治水・水防の完備によって水田化され、耕地割がなされ、台地の末端に突出する細長い河成段丘が畑地化され、そこに自然の街道が貫かれると、それに沿った街村が分布する。それは確かに武蔵野台地と多摩川の流域に展開する共有の景観とみることができる。さらに動・植物の分布相や、台地の地形・土壌、および気候などの自然景観の諸要素が密接に関係して、そこに生活する人間のいろいろな営みを結合させて、土地利用その他の人間生活の重要な現象を述べることは、歴史の理解にきわめて重要な意味をもつ。そうすると、景観地誌学は、人間をも含めて、「生物の外囲環境に対する適応形態を明らかにし、それと環境との相関関係を究明する」ことを目的とする、最近の新しい科学として注目されてきた生態学 ecology と接近する(註三)。そこで生態学と景観地誌学とは相接近して、景観生態学 landscapeecology という新しい学問を成立させている(註四)。
自然景観と文化景観との形成にあずかる自然力は静的であり、文化力は動的であって、無機的な自然界と、有機的な生物界と、精神的諸活動を備えた人間界との三種の世界が景観を構成する現象である。自然界は自然法則による因果律で支配され、生物界は遺伝・変異・陶汰の法則や生理・分布・移動の理化学的・生物学的法則の作用で、植生の形態や動物群景が決定される。人間界は、人間の意志活動によって積極的な事業形態となって現われ、地表をその機能的な場として、社会的規律・精神的秩序に応じて、地域的現象を呈し、地域性状に応じた景観・および部分景観を成している(註五)。このように人間生活は、自然地誌的諸条件、特に地形的制約によって支配されながら、その長い歴史を通して営まれてきた。そこで私は昭島市史においても、そこの住民の生活の基盤であった土地の、自然地誌的景観について充分検討をしておくことの必要性を認めるわけである。それ故、昭島市の占める自然地誌的位置と、その地域の地形的条件、それに作用する気候条件などが主要な観点となるが、昭島市の住民にとって最も関心をよせなけれならないのは、その地域の景観の形成の基本となる武蔵野台地と多摩川とであるから、以下節を改め、項を分ち、これらの要件について概説しよう。
補註並びに引用文献
一 辻村太郎『文化地理学』一~三頁。なお景観については同氏著『景観地理学概論』を参照。
二 辻村太郎『地理学序説』一頁。自然景観あるいは自然地誌的景観は、略して自然景、文化景観は人文景観、略して文化景・人文景と称されることもある。
三 山本護太郎・竹内拓司『現代生物学』一七四頁。
四 C.Troll;〝Koloniale Raumplanung in Afrika.〟1941, p.p.1~41。
五 辻村太郎『地理学序説』八〇頁。