昭島市をのせている武蔵野台地、それは先に述べた通り、洪積台地である。したがってこの広大な台地は、地質学上洪積世といわれている時期に形成された台地であることは言うまでもない。
地質学上洪積世と言われるのは、地球の歴史の中では、最も新しい第四紀と称されている時代の前半を占める時期をさすのであるから、武蔵野台地の形成は地球の歴史からみればきわめて新しい時代のことに属する。といっても洪積世のはじまりは、今から約二〇〇万年以前にあるとされているから、人類の歴史からみれば、きわめて古い時代のことに属するわけである。そしてわれわれ人類がこの地球上に出現し、生活をくりひろげるのも、洪積世である。武蔵野台地の形成は、われわれ人類の歴史と共にあったと言えるであろう。
武蔵野台地は小仏古成層よりなる古い関東山地の東側に、古東京湾にそそぐ諸渓谷の運搬した土砂が、海底に沈積して形成されつつあった扇状複合三角洲が、洪積世の隆起作用で海面上に姿を現わし、その上洪積世の後期に火山活動が活発化した時に、関東地方周辺部の諸火山-富士・箱根・浅間・赤城・榛名・男体等の火山群-が噴火して降らせた火山灰が堆積して、部厚い火山灰層をのせた。その赤土層が、いわゆる関東ローム層、あるいは関東火山灰層と古くから呼ばれていたものであり、武蔵野台地の基盤はこの関東ローム層の堆積によって形成されている。したがって武蔵野台地はその表面がきわめて平坦である。等高線をとってみると、青梅市附近を頂点として、東へ扇状に開く同心円をえがきながら、ゆるやかな傾斜を示している。その平均傾斜は西部では約二・五%、東部では二%以下を示し、東するにしたがって特に傾斜がゆるやかになっている。この台地の地形については、古くから数多くの研究がなされているが、特に大建設工事が顕著に増加されるようになって、この関東ローム層の研究が、旧石器の発見に伴なって、各界からの注目を浴びるようになり、昭和二八(一九五三)年に、「関東ローム団体研究会」が生れて以後研究が著しく進展し、南関東の武蔵野台地、北関東の赤城山麓を中心とするローム層の研究が大きな成果をあげるに至った。その結果、武蔵野台地は単一の扇状地面ではないことが知られ、関東ローム層は、古い方から順に、多摩ローム層・下末吉ローム層・武蔵野ローム層・立川ローム層の四層に区分され、その堆積年代も多摩ローム層は洪積世前期後半(旧石器時代前期の中頃)、下末吉ローム層は洪積世中期後半(旧石器時代前期後半)、武蔵野ローム層と立川ローム層は洪積世後期(旧石器時代中期~後期)と編年されるようになった。
これら各ローム層の堆積は、武蔵野台地が、三段ないし二段の段丘面をもつことを明らかにしている。その段丘面とは、下末吉面・武蔵野面・立川面・冲積面の四群に分けられるものである。これらの武蔵野台地の構造を明らかにするに先立って、説明をわかりやすくするために、武蔵野台地形成以前の一般的状況を概観しておこう。