B 下末吉面

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 多摩ローム層の上の下末吉層は多摩ローム層時代の海退によって形成された谷地を埋めて堆積した層であり、その最上部すなわち堆積の末期には、平坦な波蝕台に堆積している。この時期の海進を下末吉海進と呼び、五〇~二〇メートルの高度をもった段丘面をのこし、その分布域は冲積低地の面よりも広い。多摩面よりも一段低い段丘面や、それに附随している段丘面は、下末吉海進期、およびその直後の海退期における海面の停滞、あるいは小規模な海進によるものと考えられてきたが、新たに下末吉海進による高度四〇メートルで形成された下末吉面の構成層と、この海進後に現われた別個な、東京の山手台地を構成する山手砂礫層や、武蔵野礫層から発見される海棲貝化石によって、山手海進による下末吉層類似の海成層があるという考え方が出てきて、高度五〇~二〇メートルの海成段丘面の中にはこのような時代の異るものが含まれているという指摘がなされている。
 とにかく多摩ローム層堆積期に入ってからおきた海退により多摩面が残されたが、この海退・寒冷期に多摩面が開析され、再び後に気候変化がおこって温暖化して下末吉海進期に入ったわけで、南関東では現在の関東盆地の中央部に海域が形成され、これを古東京湾と呼ぶのである。この古東京湾に堆積した地層が東京では東京層、横浜では下末吉層と呼ばれ、その上に整合に重なっている水成の粘土質ローム層と、風成のローム層とが下末吉ローム層である。このローム層は主として箱根火山の内輪山活動による火山灰の降下で堆積されたもので、下末吉層中の軽石や火山灰も同じ性質のものである。
 武蔵野台地の周辺で、下末吉面と見られる段丘面は、多摩川の右岸に多く見受けられる。海抜四〇~六〇メートルの高度を有し、その段丘に次いで古い成立で、ここでも下末吉層と呼ばれる海成層と、下末吉ローム層から構成されている。多摩川の左岸ではこの地形面に相当するのは、淀橋台・荏原台・田園調布台で、豊島台・本郷台・目黒台・久ケ原台に比較して、比高で約一〇メートルほど高くなっている。