E 青柳面・拝島面

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 立川段丘面の懸崖下に、一段と低位に二段の小段丘が、多摩川左岸にそって局地的な展開をしている。その一つが青柳段丘である。青柳段丘面は、昭島市拝島町の北面に発し、東にのびて、大神町・中神町・郷地町の南部につづき、更に立川市の南部を貫き、国立市青柳を中心とし、それより更に東へ約四粁のびている細長い河岸段丘である。広い所では幅約八〇〇メートルに達し、立川段丘面とは高さ六~二・五メートルの懸崖をもって境されている。海抜は中心青柳で七〇メートル、谷保附近で六五メートル、昭島市で九三メートルを占めている。青柳段丘は表面を青柳ローム層と呼ばれる薄いロームで被覆され、その下部に厚さ二~四メートルの礫層があり、基盤は三浦層群から成立している。
 青柳面の地層の構造については、段丘の西部の昭島市大神町七三六番地先で、二〇〇メートルの深井戸を掘った時の地質調査によると右のⅡ図の如くである。

Ⅱ図

 また東部の中神町五一二番地先の二〇〇メートル井戸の地質調査は次の如くであった。

Ⅲ図


Ⅳ図

 いま一つの段丘は、青柳段丘よりもまた一段下位にある段丘で、それを拝島段丘面とする。拝島段丘面は、昭島市拝島町の南部、多摩川左岸に沿って展開する、きわめて顕著な、ごく小規模な局地的段丘面である。拝島段丘面の地層については、拝島町二一二一番地先の、海抜一〇二メートルの、冲積面に近い位置の一五九メートルの井戸を掘った場合のデーターがある。それによればこの地点では前頁のⅣ図ような構成がみられた。
 なお同じ拝島段丘面の、この地点よりやや北方の地点、すなわち拝島町二五七八番地の海抜一〇四・九三メートルの地先で、一七〇メートルの井戸を掘った時のデーターでは、

Ⅴ図

となっていて、ほぼ同一の地質構造であることが明らかになっている。
 以上の青柳段丘・拝島段丘はいずれも立川段丘の下に展開したごく局地的な冲積段丘面であることを示している。青柳段丘面は本村農民の主要な畑地として古くから活用されていたが、現在では昭島市域での住宅街地域に転換しつつある。拝島段丘面は昭島市誕生の母胎の一つである拝島町、古い時代の拝島村の本村集落をのせていて、当地域の東西交通の幹線道路である奥多摩街道はこの段丘面の南端をぬって走っている。古い時代からこの地の住民の生活面で最も中心的な地域として、重要な機能を果す地域であった。

 

 上述のように武蔵野台地についての研究は、最近特に精密化され、武蔵野台地が地形・地質の構造上から、細分化されつつ詳細な検討が加えられるに至っている。それは専ら武蔵野台地を覆う、関東ローム層の研究の顕著な研究の結果に負う所多大である。更に武蔵野台地について論ずるのに、地形上一言触れなければならないのは、狭山丘陵である。