南多摩丘陵の東南に発達している面に属するといわれ、海成の堆積面や、波蝕台をつくった海退の後に陸上に姿を現わし、その上に多摩ローム層が堆積したものだと考えられる。したがってその地質構造をみると、三ツ木礫層・谷ツ粘土層・芋窪礫層などから成る狭山層の上を、多摩ローム層及びその後の新しいローム層が覆っている。
丘陵の高度は西北部で一九四・一メートルを最高とし、その東南に一九〇~一七〇メートルの七丘陵がある。東西約一〇キロ、南北最大幅五キロの、ほぼ彷錘形を呈するこの狭山丘陵は、多摩丘陵東部と、地形・地質の構造が類似している。それ故かつては古多摩川の作った大きな複合デルタで、多摩丘陵をはじめ諸丘陵群と連続していたけれども、古多摩川の浸蝕作用によって分離し、武蔵野段丘面上に、周囲よりも一段と高く孤立した丘陵として残存したものであると考えられる。この丘陵の位置する所は多摩ローム層の堆積面であることや、開析の状況から、武蔵野台地の西よりの部分の中央、昭島市の北方にかなり開析された丘陵が一つ孤立して存在する。それが狭山丘陵である。
狭山丘陵は、武蔵野台地が、その西方及び西南方において、関東山地と接触する間に、表面が波状の起伏を呈する丘陵が介在しているが、その丘陵群の一つが狭山丘陵なのである。それらの丘陵群とは、南から算えて、南多摩丘陵(多摩本丘陵)・川口丘陵・滝山丘陵・加住丘陵・草花丘陵・加治丘陵、そしてこの狭山丘陵の高所が一塊をなしており、それから漸次東方に向って低下していく。東南隅の東村山市附近では七〇メートルに下る。丘陵内部は東西に浸蝕された二条の縦谷があって、この二条の開析谷をせきとめて、それぞれ多摩湖・狭山湖と呼ばれる人造湖がつくられ、東京都民の飲料水の供給源の一つにされている。