B 日原川

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 日原川は標高二〇〇〇メートルの雲取山に源を発し、約十キロの流程をもって氷川において丹波川に合する支流である。この渓谷に沿って北に登れば標高一五〇〇メートルの仙元峠に達するし、また北に下れば秩父郡に連らなる甲武の山間の要路である。したがって古来日原路として人びとの往還があった。この渓流が日原川と名づけられた由縁を考えると、この名は「ヒノハラノカハ」の義で、氷川の「ヒカハ」・「ヒノカハ」とも関係があり、日本的な名称である、「ヒ」という語に由来がある。この「ヒ」は「天津日嗣」の「ヒ」、また出雲国造家の、国造職相続の儀式を「神火相続(オヒツギ)式」と称されているが、「ヒツギ」・「オヒツギ」の「ヒ」と同義で、古語で「霊」または「魂」のことを意味する語である。そうすると日原川の義は「霊原の川」の意味となる。すなわちオリジナルな意味では「霊の川」で、この川は神霊の宿る、または神霊の憑りくる、神聖な川の義となり、そこに氷川という地名が古くから存在するのも、この聖川に対する神仰から発した古くからの地名であることが明らかになる。また西多摩郡の秋川渓谷の奥に檜原(ひのはら)村があるが、これも元来は日原川というのと同じく「霊原村」の義と解される。秋川上流の聖地という意味で名附けられた地名であろう。奥多摩の氷川という村名も古くからあり、そこには氷川明神があって村名になったという説もあるが、甲州路と秩父路との分岐点である要衝の地点に氷川明神を祭っているのも故なしとしない。武蔵国には早くから氷川神社の信仰があり、武蔵国の一の宮である氷川神社は、武蔵野台地の北限をなす荒川の流域、埼玉県大宮市内に鎮座する古大社(旧官幣大社)で、この系統をひく国内の凡ての氷川神社は、須佐之男命・櫛稲田姫・大己貴命の三神を祭神としているので、出雲系の神社である。したがって出雲系氏族のこの地方への移動と関連のある信仰の遺存と思われるが、そうすると氷川といい、日原川といい、檜原というのは、いずれも神聖なる川に憑りくる水神の霊を奉斎する習俗-それは出雲系の龍神信仰を継承したものである--によった命名だと解される。この日原川は古くからこのような出雲の龍神信仰に関連する聖なる川として信仰されていたとすると、そうした聖川観念から発して後の時代になると、この川上が聖地と目される由縁も明瞭であり、上流の奥地日原の郷の奥に鎮座する三峯神社の信仰につながっていく。埼玉県秩父郡大滝村三峯に鎮座するこの古社は、旧県社である。三峯社といわれるのは、日原川の水源雲取山と、白石山・妙法山の三峯合わせて三峯と称するのであるが、いずれも標高二〇〇〇メートルを越える関東の秀峰として、さながら俗塵を払い去った仙境とみられた地域であった。この神社の祭神は諾冊二神であるが、上世から中世にかけてはここが関東における修験道の道場として有名になり、本地仏をおき、寺堂を建立した建久年間に、畠山重忠が方十里の地をもって、守護不入の地としてより、益々道場の聖地として発展したと伝えられる。この霊域から流れ出る日原川は、修験道の時代にも聖なる川として信仰されたことも、その起原は古きにあると考えられるわけである。そしてこの川の谷頭の谷地がまた「神霊の鎮りますべき原」として、日原郷と呼ばれることも当然であった。