二 昭島市の気候条件-霜

106 ~ 107 / 1551ページ
 武蔵野台地の気候を特色づけるいま一つの条件をなすものとして霜があげられる。降霜の現象はまた最低気温の分布特性と一致するが、これは地域産業上にも大きな影響がある現象である。東京都区内の初霜は平年並で一一月一八日、終霜が四月二日となっている。最も早い初霜例は、明治四三(一九一〇)年の一〇月二一日というのがあり、最もおそい終霜例では、明治三五(一九〇二)年の五月一三日という記録がある。降霜日数は年平均七〇日となっているが、これは年によって変動がはげしい。大正七(一九一八)年には一〇三日、昭和五(一九三〇)年には四六日という数値を示すほどに年による変動は大きい。近来都市気候化がはげしくなるにつれて降霜日数は年毎に減少する傾向を示し、七〇日以上になることは一〇年間に二~三年しかない。近年ではその上更に日本列島全般にわたっての気温の高温化という現象も加わっている。
 最低気温の比較的高温を示す海岸沿いの地域に降霜日数が少ないのは当然で、江東区が三〇日以下であるのに対し、台地の東端、千代田区では五〇日、北部の荒川区で六〇~七〇日、台地を西するにつれて降霜日数は大となり、武蔵野市吉祥寺で一〇〇日以上となっている。すなわち都心から周辺地域に移行するにつれて降霜日数は漸移的に大きくなる。初霜の起日も同様の現象がみられ、昭和一〇(一九三五)年の例では、江東区が一一月一八日であったのに対し、西部では一一月七日とその間一〇日以上の差がみられたのである。
 それにも増して特色のあるのは吉祥寺以西の武蔵野台地西部から南多摩丘陵一帯にわたってみられる霜柱の現象である。それは気温がはげしく低下する冬季の朝、表面の土壌の中に形成されている白銀の氷柱のことである。直径二~三ミリ、長サ三~七センチに及ぶ細長い白銀色の氷柱が群をなして表土下に林立する霜柱は、関東ローム層の赤土の部分で、夜半の気温が氷点下一〇度を示す程に低下すると、下方の水分を吸い上げて、表土をのせておしあげてできる氷の柱である。冬の朝、氷の柱の上にのせられている薄い表土をふむと、ザクザクと白銀の細長い氷柱が折れる音を楽しむことができたが、昨今ではこの地域でも都市化が激しくなって、道路は、舗装化され、畑地は住宅地となって、だんだんと霜柱の立つ空閑地がなくなってしまい、武蔵野の冬の風物詩の一つも失なわれていくようである。