以上の諸条件を綜合して、昭島市の立地している武蔵野台地を、気候の上からいくつかの気候区に分けてみて、昭島市域の気候上の特色を抽出して本節のむすびとしよう。近藤宏氏は武蔵野台地をいくつかの気候区に区分する研究を試み、まず気温分布の特性から、(一)江東区、(二)山手区、(三)多摩川区、(四)武蔵野区、(五)南多摩区、(六)城北区という六気候区に区分された。次に気温について一月と八月の絶対値を考慮に入れた月平均気温分布図を作成して示される分布特性と、八月の最高気温分布と、一月の最低気温分布の型を考慮した分布図を重ね合わせて地域区分を行ない、更に降水量について、一月・六月・九月の三ヶ月の月降水量の分布図に現われる分布特性と、降水日数の分布図、最大日量の分布図、微雨日数の分布図を合わせた、降水量による分布図を以て地域区分を行ない、この要素を綜合して、最終的な地域区分を決定された。その区分によると次の九区に細分化される。すなわち、
(一)Ⅰ地区 東京都区内のうちで、最も海岸に接近した地域で、都市気候が卓越している地域である。ここでは海風が発達して、大気汚染が激しい。
(二)Ⅱ地区 東京都区内のうち、都市周辺地域の北東部に当り、近年次第に都市気候化しつつある地域で、なおその気候特性は、埼玉県東南部や、千葉県西部のそれに近い地域である。
(三)Ⅱb地区 東京都区内のうち、都市周辺地域の西南部に当り、すでに都市化が顕著な地域である。
(四)Ⅲ地区 東京都西郊に当る地域で、全体として関東平野の気候的特性を示す。ただ関東平野内陸部より冬の風が弱く、やや海洋性気候型を呈している点が異なり、地域性を示している。この地区は更にⅢa・Ⅲb・Ⅲcの三つの地区に細分される。
(五)Ⅳ地区 西多摩地区をさす。武蔵野台地の西部から、丘陵地帯及び関東山地を含めた地域で、この地区は更に二つの小区に分けられる。東部のそれは丘陵地帯、西部のそれは関東山地の地帯である。ここでは山地の気候をその特性とするが、東部(Ⅳa地区)では山地の気候がそれ程顕著でなく、関東平野の気候から山地の気候へと漸移する型を呈する。西部(Ⅳb地区)はそれに対して純然たる山地の気候型を示している地区である。
(六)Ⅴ地区 これは伊豆諸島区で、温暖多湿を特色とし、降水量も多く、冬の季節風は西寄りで強いことを特性とする。
以上は九地区に細分された気候区の中で、昭島市が属するのはⅢ地区の中のC地区に該当する。
このような自然景観の中に立地する昭島市であるから、市域の住民は、いつの時代にあっても、こうした自然景観の中で、その制約をうけながら、長い間生活を営みつづけて、今日までいく世代を重ねて、昭島市域の住民は、その永い歴史的な発展をなしとげてきたのである。郷土の人びとの生活史には、どれ程こうした自然条件が影響を及ぼしてきたことか、それは計り知れないものがある。この自然条件の制約の下で、余りそれを改変せず、この自然に順応して、限られた人力による自然の変革が行なわれていただけの段階では、人びとの生活は、その歴史の上に、余り顕著な発展と、きわだつ変革とは、おこし得なかった筈である。しかし人智が進歩し、人びとが人力以外の、文明の利器を用い、科学の発展によって人間が威力のある機械力に依存することにより、大きく自然を破壊し、それを著しく改変することができる段階に至り、それまでの自然景を打破し、改変させて、人間生活をきわだって発展させ、歴史に大変革をもたらすことが可能になったのである。こうした機械力によって昭島市の在来の自然景を改変し、いままでの歴史の進行を著しく急変させるようになったのは、ごく近い戦後のことである。そして機械力の投下が益々発展することによって、これまでの昭島市の自然景は一変し、在来の昭島市の姿態は、近い将来において、全く面目を一新するに至るであろうことは、全く疑いの余地がない。