ムサシはアイヌ語の「ムン・チャシ」に由来するという。「ムン」は平和なという意味で、「チャシ」は城。故に「ムン・チャシ」は平和な城の意味であるという。アイヌ人のいう「チャシ」は確かに現在でも北海道の各地に遺構が残されている城砦のことで、三面は断崖を以て河流または低地に接し、他の一面は山丘を以て奥地と連らなる要害の山城のことを指す。その位置はおおむね河流の合流点や、沼沢に突出した丘陵の末端などの、要害地であるが、武蔵の語源がそれに関係があるとすると、国内のどの地点をそう呼んだのかを明らかにしなければならないが、それは不明である。「チャシ」というアイヌ語が日本語になると、普通「館(タテ)」となる。関東から奥羽にかけて「何某館」という地名が多く、これをみなアイヌ語「チャシ」だと説く。だがもし「館」と「チャシ」とが関係があるとすると、日本語の古語で城砦のことを、「サシ」・「タテ」・「タチ」と言い、それが日本人の東北開拓によって、東北地方の北部三県下に移動してきていたアイヌ人と接触し、城砦を設けて抗争した時代に、アイヌ人が、日本人の城砦を「タテ」と言ったので、それをとってアイヌ語彙に「チャシ」という語を加えたと逆にみることができるのである。アイヌ語彙中に日本の古語が可成受け入れられていることは、例えば日本の「神」という語が、アイヌ語の「カムイ」に転訛していることでも明らかであろう。もしアイヌ語の「チャシ」が元でそれから日本語の「館」ができたのならば、少なくともアイヌ人が古くから、「館」と名附けられている地域に、住みついていたことが、証明されなければならない。また武蔵の語源が、アイヌ語の「平和な城」という意味の、「ムン・チャシ」にあるとするならば武蔵国にもアイヌ人が住みついていたとしなければならないが、そういう証明はできない。それであるから私はアイヌ語説に賛成し得ない。