一 最初の旧石器時代の遺跡

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井草式土器(上川原遺跡出土)


石槍と石鏃(伊藤勝太郎氏所蔵)

 日本列島の人類の歴史は、永い間繩文時代に始まるとされていた。一部の研究者は旧石器時代の化石人骨を発見したとして、旧石器時代の存在を主張していたが、学界をすべて承認させるまでにはゆかなかった。昭和二四年、群馬県岩宿遺跡が発見されたことによって、日本列島における人類の歴史は繩文時代をさかのぼることになった。関東ローム層には、それまで人類の足跡を発見することができなかったのである。岩宿遺跡以来今日まで旧石器時代遺跡は千ヶ所を越えるであろう。それは関東ローム層形成の末期に人類の活躍が全国的みられたことを示している。
 岩宿遺跡は当時青年であった相沢忠洋氏が、仕事の往復に切り通しの赤土層から石器を多数採集し、明治大学に持参したことから、明治大学による調査が開始され、新(岩宿Ⅱ文化層)古(岩宿Ⅰ文化層)の文化層が明らかになり、石器が層位的に把えられた。その後、相沢忠洋・芹沢長介氏らが調査し、岩宿Ⅰ文化層の下に文化層が確認されて、それはゼロ文化層とよばれた。ゼロ文化層は日本列島で最古に属する文化層で、その形成は十万年以前と考えられ、岩宿遺跡は繩文時代から旧石器時代の前期に亘る永い間人類が活躍した地域と判明した。