岩宿遺跡が発見されると、石器を製作・使用した人々が日本人の祖先であるのかどうか、旧石器時代人は本当に日本列島で活躍したのかなど、石器製作者への関心が高まった。
洪積世化石人骨といわれたものは、早くから発見されていた。それは直良信夫氏によって採集された「明石人」の腰骨である。しかし、この化石人骨は第二次大戦の戦災で焼失してしまい、明解な結論がでないまま今日にいたっている。
鈴木尚氏が調査・採取した牛川人・三ケ日人・浜北人などはいずれも洪積世土層から出土した。牛川人は女性骨で、身長は一三四・八センチ、矮人(ピグミー)に属するといわれる。また、三ケ日人には男性骨と判断された右腸骨と右大腿骨があり、これから推定される身長は一四五センチという。これらのことから、日本列島の洪積世人類は現代人はもちろん繩文人よりも背が低かったといえよう。これらの化石人骨はいずれも石灰岩の採石の際に発見されたもので、出土層に明確さを欠くものがあった。
昭和四九年になって広島県帝釈狭観音堂洞窟遺跡で旧石器時代末期に属する大腿骨が発見され、彼らの製作した骨器も出土するなどして旧石器時代人の姿がかなり明らかになった。