石を打ちくだいて作った打製の石器を主な道具として生活していた人々が、豊富でしかも安定した毎日を送れたとは誰れも考えないであろう。実際、彼らの生活は自然との対決であったし、多くの動植物が生息していたとはいえ、その獲得には共同の力を必要とし、食料は集落の一人一人に等しく分け与えられることによって彼らの生活が成り立っていた。
食料の種類は繩文時代と大きな違いはないと思われるが、繩文時代では見られなくなったナウマン象、マンモス象、野牛、オオツノジカなどの動物は食料としていたであろう。前期旧石器では槍の使用はみられず、棍棒や握槌などの石器を手にして、村人総出で動物を包囲し、打ち殺すなり、崖に追いつめて落すなりして動物をとらえていた。後期旧石器になると、ナイフ形石器や尖頭器を先につけた槍を用い、狩猟の方法も発達した。槍が使用され始めたため、遠い所から動物をねらい打ちすることができ、動物をとりかこむ人数も少なくてすんだ。
とらえた動物は解体し、その皮は彼の皮膚を覆ったのではなかろうか。編むこともぬうことも知らなかった旧石器人は動物の皮を裁断して身につけていたと思われる。
旧石器時代の遺跡は洪積層のなかから突然現われる。石器がたくさん出土するということはそこが生活の中心地だったからで、住居を営んでいたことを意味している。以前、旧石器時代人は洞窟に住んでいたといわれたが関東平野ではそのような様子はみられない。竪穴こそ作らなかったが、旧石器時代人は平地に簡単な覆いをした住居に住み、集落を形成して共同生活を行なっていたのである。