旧石器時代の日本列島の人々がヨーロッパと同じような宗教的な活動を行なっていたかどうか分らない。ヨーロッパでは中部旧石器といわれる数万年前から死者の埋葬が行なわれているが、日本列島で発見された化石人骨には埋葬の痕跡は認めることができない。帝釈観音堂人のわずか一例しか発掘されていない今日の資料不足の状況では、死者の埋葬を云々できないであろう。
彫刻遺物は大分県岩戸遺跡の石偶と愛媛県上黒岩岩陰遺跡の線刻礫数個が知られている。石偶には目・鼻・口と思われる凹凸があり、人物を表現しているとみられる。線刻礫は河原石に縦線を主した文様をつけたもので、小児や女性を現わしたものではないかといわれる。いずれも後期旧石器に属する彫刻遺物で、何かの必要が生じ創造したものであろう。集落から普通の死でないものがでたり、あるいは死産であったりしたような、彼らが日頃から恐れていた死の形が集落を襲ったような時に彫刻されているのかも知れない。