二 多摩川流域の旧石器

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 旧石器時代の多摩川は奥深くまで古東京湾が入り込み、今日よりはずっと幅狭く短かいものであった。おそらく、中・下流は古東京湾になっていたであろう。
 多摩川流域の前期旧石器はまだ発見されていないといえよう。直良信夫氏はかつて世田谷区旧根津山遺跡で礫器を採集し報告しているが、この礫器は研究者によって取りあげられたことがなく、自然石の可能性が考えられる。出土層が明確ではなかった。前期旧石器は下末吉ロームから発見されなければならず、また礫器が紛失されてしまっては、多摩川流域の前期旧石器時代の解明は今後にまつ外ない。下末吉ロームが広く分布している地域では前期旧石器人の活躍が想定できよう。
 後期旧石器が発見される多摩川流域の遺跡は多い。青梅市北入遺跡、瑞穂町狭山遺跡、瑞穂町浅間谷遺跡、国分寺市多磨蘭坂遺跡、国分寺市殿ケ谷戸北遺跡などがあり、とくに多摩川左岸支流に発達した野川流域には小金井・調布両市を中心に数多く分布している。当時の野川は古東京湾にそそぐ小河川の一つで、後期旧石器人にとっては生活するのに好条件をそなえていたものであろう。