土器の発明は旧石器時代末期に行なわれたもので、豆粒文土器や隆起線文土器は縄目文様土器出現以前の土器であり、繩文時代はこれ以後と思われる。すなわち、上黒岩岩蔭遺跡の第六層以後で、第六層から無文土器と二等辺三角形の石鏃が出土しており、投槍の時代から弓矢の時代に入ったことを示している。これらの土器や石鏃は物理的年代測定法によって今から約一万年前と出ている。
隆起線文土器につづいて現われた土器は人間の爪で文様をつけたと思われる爪形文の土器である。
関東地方では爪形文土器につづく土器群として、押圧繩文や撚糸文を付したものが現われる。これは土器表面に撚った繩や撚糸を棒にまきつけたものをころがしてできた文様で、最初の繩文式土器といえよう。これらの土器群に始まる時期は繩文時代早期とよばれ、そして弥生式土器と交代するまでの間に、早期につづいて前期→中期→後期→晩期と繩文式土器は変遷した。早期の終りは紀元前五千年頃、前期は紀元前三千五百年、中期は紀元前二千五百年、後期は紀元前千五百年をそれぞれの中心とした時期、そして晩期は紀元前四百年~三百年に終ると考えられている。
関東地方繩文式土器編年表
(『日本の考古学』繩文時代から)
繩文時代五時期区分の外に六時期に分ける研究者もいる。それは従来の早期を二分し、早期の前に草創期を加えるもので、隆起線文土器、爪形文土器、撚糸文土器の時代である。この考えでは繩文時代の始まりを今から四千五百年前としており、物理的年代測定の年代観と著しい隔りを示している。