三 集落址と貝塚

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 繩文時代の人々もまた旧石器時代人と同じように集団をもって生活していた。きれいな水があって陽当りがよく、風雨の害をさけやすい場所を選んで集団生活を営んでいた。洞穴や岩蔭も生活に利用されたが、それは一時的なもので、彼らは竪穴式住居を造り、狩猟や漁撈、植物の実を採集する生活を送っていた。竪穴式住居の営まれた場所は集落遺跡として、また貝塚として当時の人々の生活を明らかにする重要遺跡になっている。

林ノ上遺跡の住居址

 集落址は一般に土器散布地とか埋蔵文化財包蔵地と呼ばれ、土器・石器の他に骨角や植物の実が発見される。それは舌状にのびた台地や段丘の先端に位置し、竪穴式住居は舌状台地の縁辺に営まれ、中央を広場とした円形集落となることが多い。早期の集落は明らかにされていないが、初期の住居は小規模な円形竪穴で、内部で火をたいた形跡はなく、前期になって炉址が現われる。この頃から円形または馬蹄の集落が形成される。
 貝塚は集落の人々のごみ捨場である。食料から生じるごみを主として、生活用具や容器の破損品を捨てた。植物性のごみは消滅し、貝殻・骨角・土製品・石製品はよく残り、繩文時代の生活を復元する貴重な資料となっている。
 繩文人は崖に向ってごみを捨てるか、廃棄した竪穴式住居に捨てた。前者の場合は崖に斜面貝塚を、後者では集落の形に、すなわち最終的には円形または馬蹄形の貝塚を台地上に形成した。下の方に堆積した貝層は古く、表土に向うに従って新しくなるので、土器文様などの変化を正しく把えることができ、貝塚の調査は繩文文化の研究の基本となってきた。
 土器・石器をはじめ繩文時代の遺物は集落址と貝塚から出土する。