一 土偶と縄文社会

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 繩文式土器は繩文人創出の優れた造形品であり、それは時代や地域の動向を反映して微妙に変化し、すでにみてきたように紀年に代って繩文社会の発展過程を把えるときの確かな編年基準になるもので、必要にせまられた繩文人の創造意欲は、土器製作に始まり、土器の装飾を複雑にしていっただけではなく、次々と新しい造形品をつくりあげた。骨角・貝製品の上にも繩文人の造形意欲はいかんなく発揮されたが、それらは原材料の加工にとどまり、無形から有形を創出したものではなかった。その意味では土製品は実に創造の結実であり、それは繩文人の必然の結果でもあった。
 繩文人の創造物としての土偶は、自らの姿を写生した彫刻であり、実体の抽象化によって彼らの要求は満された。土偶はすでに繩文時代早期に現われており、早期以降土偶はますます必要とされた。後期から晩期前半の土偶が最も整美で、造像された数も多い。地域的には関東・東北地方を中心として全国に及んでいる。後・晩期土偶のなかにはその形状から山形土偶、みみづく土偶、遮光器土偶などと呼ばれるものもあり、一般に顔面の表情は奇怪で、顔面に左右相称のヘラ書きを施されたものが多い。

西上遺跡出土土偶顔面

 土偶は貝塚・集落址から単独に出土することが普通で、昭島市西上遺跡からも土偶頭部一個が発見されている。土偶は破損しやすく、五体満足のものは珍らしい。必ずといってよいほど体の一部は欠損しており、欠損が廃棄された理由として考えられるが、欠損にこそ土偶造像の意義があると考えた研究者もいる。繩文人の身代りとして土偶を破壊し、したがって完形土偶は例外ということである。男・女性別の上から土偶をみると、女性のみと理解されるほど男子像は例外的である。土偶には両乳房の突出や特殊な造形を施した腹部があり、成年女性の造像であることは疑いない。一般に土偶は妊婦を表現しており、繩文社会における妊婦がいかなる位置に置かれたものであったか、その解明が土偶造像の謎を解くことになろう。
 繩文社会の女性は集団の要という考えがあり、繩文社会を母系制と理解し、その象徴としての土偶と把える考えもある。また、女性を再生産の根源として、自然資源にたよっていた繩文社会では、その涸渇は集団の分解・消減を意味し、食料資源の増殖を期待するところに土偶造像の意義を見出そうとする考えもある。女性の生物的特徴からいえば、増殖は正しく女性機能の働きによるわけで、集団構成員の増加もまた女性機能の働きの結果である。人口増加は繩文社会の繁栄にもつながろうが、食料増大をともなわない人口増は集団の破滅をまねきかねない。
 しかし、繩文社会における土器製作者が女性であるかぎり、土偶造像も女性の手になったことは間違いなかろう。すなわち、土偶は社会の要請によって自らが自らの姿を象徴的に造形したものであり、「自らのお腹の出た姿」と無関係ではなかったのではないか。
 繩文時代の妊婦の死亡率は想像以上に高かったと思われる。乳・幼児を除いて、繩文人の死亡平均年令は三〇歳代半にまで達しないといわれており、厳しい社会状況が推察される。妊婦は出産に際してしばしば生命の危機にさらされる。したがって、健全な出産は妊婦にかぎらず繩文人すべての希望でもあったといえよう。土器造りの専門家であった女性繩文人は、安産の呪術として土偶造像を行なったのではなかろうか。土偶はほとんど破損して発見されるが、たまに石囲いされて埋納された土偶が出土することがある。出産時における妊婦の死、または新しい生命の死は土偶呪術は失敗として、土偶埋納を行なわせたのではなかろうか。
 千葉県西広貝塚は層序的に広域発掘の実施された数少ない後・晩期の貝塚で、多数の土偶が出土した。破損土偶ばかりではあったが、その出土地点を記録してみると、死者の埋葬されていた所に密度が高く、埋葬との関係がうかがわれる。すなわち、破損土偶の捨て場所として葬地が選ばれたとしか考えられない。安産の呪術は妊婦の死を除き、妊婦は安心して出産を迎えることができる。死を除く力は死者の死をとり除くこと、つまりよみがえらせる呪力でもある。こうしたことが葬地を土偶の捨場にさせたのではないか。土偶の破損は土器の破損が著しいのと同じように、呪術そのものが土偶を破損させやすい行為であったからであろう。
 土偶の造像は健全な母胎と新しい生命の誕生を求めた極めて人間性豊かな呪術であったと思われる。