繩文社会は食料危機、集落間の抗争、自然災害、野生動物の危害など種々の生命の危険をはらみ、繩文人はそれら危険と勇敢に戦い、また勇敢でなければ集落の分解・消滅は必然であった。しかし、彼らはまた自分たちの力ではどうにもならないものがあることも十分に知っていた。そこに繩文人の呪術の出発があるといえよう。現代の人々が美しく着かざるための首飾や耳飾も、繩文人にとってはそうすることが身体の安全や気力の充実を意味したからである。装飾品はそうした呪力をもっており、特殊な彫刻が施された。頭髪にはヘアピンや櫛、耳には穴をあけて小さなものをはめ、それからだんだん大きくしてゆく骨製・土製の耳栓や穴にぶらさげる石製の〓状飾がある。耳栓は大きなものになると直径一〇センチもある。首には動物の歯牙に穴をあけたものや石製の勾玉・大珠をぶらさげた。大珠は大きなヒスイ製の長楕円形の玉で、一個だけ首からさげたものである。腕には貝輪を着けていた。貝はベンケイやサルボウで、中央をくり抜き腕にはめられるようにしたものである。
繩文人の埋葬遺骸は貝塚などから大量に発見されるが、装飾品着装の人骨は極めて少ない。西日本では貝輪をはめた人骨がしばしば発見されるのに対し、東日本では例外的である。装飾品は生前着用していたものでも、死後は取りはずされる性質をもっていたのであろうか。もし、そうであれば死後も装飾品を着装できた繩文人は集落のなかで特殊な地位にあったものといえよう。一般集落構成員は死後の装飾品着装が許されなかったと理解される。
繩文人はまたある一定の年令に達すると、健康な上下の犬歯や門歯を抜く抜歯を行なった。抜歯は繩文中期の東北地方に始まり、全国に波及した。抜歯は日本列島で自然発生したと考えられており、男女の別はなく、抜歯によって成人と子供が明瞭に分けられた。すなわち、抜歯は子供から大人への一種の通過儀礼で、これによって集落構成員としての責任が課せられたと思われる。同種の通過儀礼に研歯がある。これは門歯を鋭くとげる風習で、抜歯と併用されている。
繩文人の身体装飾として、入墨と身体彩色とは十分考えられるところである。入墨については土偶顔面に施されたヘラガキを入墨の証拠にあげる研究者は多い。土偶顔面は眉・目・鼻・口を造形するだけで、繩文などの文様をつけることは少ない。眉・鼻は粘土をはりつけて盛りあげ、そこに刻目や繩文を付すことは行なわれている。目・口は凹みをつくり、周囲を盛りあげることはある。ヘラガキは本来何んの造形も不必要な平滑な頬に施され、それは眼下に各二条で八の字をしている。この種の土偶は関東から中部地方にかけてのものに多く、中期から晩期に亘っている。土偶顔面ヘラガキが入墨を表現したものであれば、成人女性に施されたものといえる。
造形上から見た土偶の写実性については疑問が多い。人体をかなり象徴的に表現しており、平滑であるため間のぬけた顔面頬の装飾とも理解できる。土偶細部の造形から繩文人の入墨を想定するのは難しい。
身体彩色は一時的なもので、水洗すれば消えてなくなる。土偶の顔面や身体に赤彩色が施されたものがあるので、これは繩文人の身体彩色を表現したものということはできよう。しかし、これも土偶の顔面ヘラガキと同様、身体彩色の証拠とすることはできない。とくに土偶の赤彩色は全体にぬられたもので、文様をもっていない。そのため、土偶の装飾と理解した方が正しいように思う。