一 大陸文化の渡来

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弥生時代の住居(武蔵野郷土館復原住居)


弥生式土器(八王子市椚田遺跡出土)

 日本列島最初の金属出現は、弥生文化の時代であり、鉄器・青銅器の使用が開始され、一方では石器の利用も盛んで、石や鉄利器をもって製作された木器の発達が著しい時代でもあった。弥生文化の時代は紀元前三世紀に開始し、金属器もその頃から北部九州地域に渡来し始め、紀元前後の時期に青銅器は最盛期を迎えた。銅鏡を主として武器の銅剣・銅矛・銅戈など各種の青銅器が舶載され、まもなく石製鋳型で同種の青銅器を鋳造した。
 鉄器は青銅器よりも早く九州地方に渡来したらしく、熊本県斎藤山貝塚で初期弥生式土器ととも鉄斧が発見されている。青銅器の最盛期には鉄器も普及し、剣、矛、戈、鎗などの武器や刀子、〓(やりがんな)、斧、鍬先などの工具・農具にも利用されるようになった。
 日本列島のこれら金属器はいずれも大陸文化のものであることは今さら云うまでもないが、金属器と共に新しい形の磨製石斧や石庖丁と呼ばれる稲刈具、糸をつむぐ紡錘車と布を織る織機、また穀物の貯蔵庫である高床式の倉庫なども大陸からもたらされたものである。
 稲とその栽培技術は日本列島の新石器時代にはなかった。金属器時代の到来とともに水稲栽培も始まり、列島社会に大きな変化をもたらしたものであった。水稲栽培に必要な道具、鋤・鍬をはじめ田下駄、杵・臼などの木製農具もこの時代になって現われたもので、鉄製工具の利用によって前代よりも一層複雑で精巧な木製品が製作された。