一 弥生式土器の様相

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 弥生式土器は紀元前後の時期に最も発達し、九州全域から東北南部地方にいたる地域に分布し、それぞれの小地域で器形・文様に地域性が強く表現された。製造された土器の量も多かったらしく、他の時期の土器に比べてその出土量は極めて多い。このような動きのなかで中期後半から器形や文様の斉一化が始まって地域性が少なくなり、各地に共通する器形・文様あるいは製作技法が認められるようになってきた。例えば、同じ高坏でも中期のものには種々の器形があり、後期にはそれらが最も機能的な形に統一されてしまい、またとくに畿内とその周辺地域に発達した。土器表面を板で叩いて整形する叩き技法は東日本にまで及んできている。伊勢湾岸を中心に東海地方から関東地方にかけてはこの頃から台付甕が発達し始め、まもなく伊勢湾岸に土器の口縁がSの字のような断面をもつものも現われ、この様式は、のち関東一円にまで広がった。
 新しい器形の土器もあらわれた。浅鉢形の甑、小形の鉢、手焙形の土器はその代表例で、農耕生活が前代よりも一層定着したことを示している。日常使われる土器は以前より雑な作りであるのに対し、おそなえ用に使われた供献土器は土も製法も特別であった。日常使用する実用土器と祭祀に際して使われる供献土器は明瞭な分離を示した。中期には日常の土器の装飾に盛んに用いられていた赤彩色も減少し、供献土器はほとんど赤彩色されるようになった。
 以上のような土器の上に現われた変化は、農耕社会の動きを反映しているものと思われる。