二 鉄器の普及

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 鉄器は水稲農耕とともに日本列島へもたらされ、その発展に大きな役割をはたした。利器として、木製農具の製作には欠かすことのできない工具であったが、弥生前期の遺跡からの出土はわずか六例といわれ、当時の弥生人にとっては極めて稀な工具であった。木製農具の制作は石器によっており、弥生中期後半以降になると、鉄器は急速に普及し、今日知られる鉄器は六〇〇例に達すると思われる。そのうちの半数以上は後期に属し、鉄器は日本全土で見られるようになった。鉄製工具は、石器による農具製作と比較したときどれほど優れているか、高度な木工技術をもった弥生人には十分すぎる位分っていた。刃は鋭利であり、切れ味は石器をはるかに凌駕し、細かな細工にも適していた。おそらく、弥生人は鉄利器入手のために多くの努力を払ったであろう。はじめ輸入にたよっていたため、限られた地域の弥生人が鉄器を使っていたが、やがて鉄地金を輸入して工具や武器を造り、日本列島での鉄生産が開始されると、鉄器の入手は容易になった。元来、鉄器のすばらしさを知っていた全国各地の弥生人はいち早く手に入れて使用し始め、その結果鉄器は紀元後一~二世紀のわずかな期間に広がったものと思われる。しかし、この時期の鉄需要を日本列島内の鉄生産のみでまかなうことができたとは考えられない。大陸との交通によって、完成鉄器はもちろん、鉄地金はなおも盛んに輸入された。このように鉄器が普及したからと云って、弥生人の使用した道具がすべて鉄器化したわけではない。農具は依然として大部分が木製であり、石庖丁や石鏃は盛んに利用されていたのである。
 弥生人の使用した鉄器は主として木器製作用の利器である。木材の伐採・切断・木割・木削りなどはすべて鉄斧を使った。そのため鉄斧には大・中・小があり、また柄と平行に斧頭を着けたマサカリやナタ、柄と交叉して斧頭を着けたチョウナの役割をもった斧など、仕事や工程によって弥生人はそれらを使いわけた。木器の細部加工・仕上げは〓や刀子を利用した。〓は先の尖った鉄鏃のような形をし、両手で押えその先端で板を削る。刀子も〓に似た利用のされかたもしたであろうし、今日の小刀の役目をもっていたと思われる。
 鉄製武器は剣と刀と鉄鏃が中心であった。鉄鏃は一度使用すれば回収できることは稀れで、消耗品である。そのため、鉄鏃よりも石鏃が一般に利用され、その形も石鏃に似て作られた。剣や刀の事例も少なく、戦闘では石鏃が主役であった。鉄刀のなかに素環頭大刀と呼ばれるものがあり、これは大陸からの輸入されたものであった。
 鉄製農具は鋤・鍬の先、鎌であるが、一般には普及していない。木製農具に鉄製刃先を着けたことによって開墾には効果的であったと思われる。しかし、鉄利器さえあれば農具は多量に生産できた。当時貴重な鉄は農具にまで利用できるほど生産されていなかったのである。