四 古墳文化の胎動

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 北部九州と畿内を中心として発達した弥生墓制はその周辺地域に波及し、弥生後期には地域特有の墳墓の出現をみた。ヒトデのように四角の突出した山陰・北陸の方形墳、瀬戸内の堅穴式石室をもった前方後方墳や方墳、関東の方形周溝墓など、いずれの墳墓も周囲の土砂を盛り上げて墳丘をつくり、「原古墳」と呼ぶことのできる内容をもったものであった。それらは首長一人のために築造されたもので、副葬品の上でも土壙墓・木棺墓などとの違いがみられる。
 畿内の方形周溝墓は周溝内側(墳丘)への多葬から単葬へとすすみ、方形台状墓とよばれる墓制も出現した。方形周溝墓が台地や微高地などに営まれたのに対し、方墳、前方後方墳、方形台状墓は丘陵上に構築され、弥生末期は古墳文化への胎動が激しくなったことを表している。