二 金属器文化の変質

243 ~ 244 / 1551ページ
 有角石斧は弥生時代中期後半の宮ノ台期に東国を中心に出現した特異な形の磨製石斧である。これは北は仙台から南は横浜までの太平洋沿岸地帯にのみ分布しており、その形が磨製石斧の両側に角の生えた石斧のために有角石斧という変った名称がつけられているものである。これを使用するときは、マサカリのように刃と平行して柄を着装し、樹木を切るのに利用されたと思われる。太形蛤刃石斧とほぼ同じような機能をもっていたといえようが、刃の厚みからみると手斧的な役割をもつことができたと思われる。

南関東地方出土の有角石器(関俊彦氏論文から)

 有角石斧は変った形のために種々の製作目的や系譜が考えられている。一般には青銅武器を模した実用の石器といわれ、研究者によっては有角斧の系譜に属するとか、あるいは鉄剣形の石剣に起源をもつともいわれる。しかし、いずれにしても太形蛤刃石斧のようには大陸から有角石斧としてわが国へ入ってきたものではなく、石斧以外の金属武器・工具にその系譜をもち、東国の地域で生れたものといえよう。したがって、有角石斧は金属器文化の一部として把えられる。
 有角石斧は現在四五例あり、そのうち一七例が茨城県で最も多く、東京からは四例発見されている。多摩川流域では一例も発見されていないが有角石斧の分布圏には入っており、昭島市も東国金属器文化地域として理解できる。
 有角石斧は単独で発見されることが多く、その製作時期を明瞭にしているものは少ない。宮ノ台期以前の有角石斧はなく、また後期後半の弥生町式や前野町式にともなうものも知られていないから、時期的には中期後半から後期前半の所産といえよう。分布密度は霞ガ浦沿岸が最も高く、この地域で発生したとも考えられる。有角石斧は太平洋岸沿いに波及し、南は横浜まで到達し、有角石斧のモデルとなったものは武器であったかも知れないが、金属器工具に代る道具として利用されたと理解される。