三 卜占の風習

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 弥生人が水稲耕作を始めたことによって稲の豊凶作は彼らの最大関心事となった。見事な成長をはじめた稲も、出穂期に寒冷な日がつづいたり、開花期に大風が吹いたり、収穫期に洪水にあって永いこと稲が水につかったり、稲の病気が一度おそえば収穫量は激減であった。採集経済の段階では動物や木の実がたくさんとれることを祈ればよかったが、生産経済に入るとあらかじめその豊凶を知って対策を構じる必要があった。豊凶を占う風習は弥生時代に入って急速に広がり、事あるごとに吉凶を占うようになった。シカ・イノシシの肩胛骨や肋骨の表面を鋭利な刃物で削り、そこへ焼けひばし様のものをあてて焼灼し、生じた亀裂で吉凶を占うものであった。この事例は静岡県・神奈川県に多く、千葉県では菊間遺跡から卜骨二例が発見されている。
 卜占の風習を示す卜骨の発見例は南関東地方に多いが、この地域における特別の風習であったのではなく、弥生前期の卜骨が島根県古浦遺跡から出土していることによって、全国的であったことが知られる。
 弥生時代に始まる卜占の風習はその後ますます盛んになり、古墳時代には亀甲も使われている。