一 古墳の出現

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浄土遺跡


方形周溝墓(八王子市椚田遺跡)

 岡山県で弥生時代末期の方墳が発見されて以来、瀬戸内地方でその存在が相ついで確かめられた。それは畿内に先行する古墳がすでに現われていたことを想像せしめた。そのため、畿内で定形化した古墳とは異った首長墓が、弥生末期の西日本の各地に、地域的特色をともなって出現したと認められるようになった。それは三世紀の後半に当り、『魏志倭人伝』の述べる邪馬台国女王卑弥呼の墳墓が築造された時期とも一致している。関東ではこの頃から方形周溝墓営造が盛んになりはじめ、前方後円墳や前方後方墳が出現した後もなお、在地首長層の墳墓としてその営造は激しさを加えた。方形周溝墓は九州地方でも弥生末期からカメカン墓に代って首長層の墳墓に採用され、平原弥生古墳はその代表的事例である。
 古墳は集団墓のなかで特別な取りあつかいを受けた被葬者あるいは集団が現われ始めることによって成立してきたものである。この時期の弥生古墳として岡山県都月二号墳・黒宮山古墳・楯築古墳や奈良県石塚古墳などが知られる。都月二号墳は一辺一七メートルの方墳で中央に竪穴式石室をもち、そのまわりには一一の土壙があって、石室被葬者を中心とした都月二号墳の集団は他と隔絶された位置にある。前述の平原弥生古墳は集団墓のなかでひときわ目立つ方形周溝墓で、四二面もの多量の鏡をはじめ、夥しい副葬品が発見された。この被葬者はすでに周辺の土壙被葬者より一段と高い位置にあったといえよう。