二 方形周溝墓の盛行

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 全国的にみたときの方形周溝墓の盛行期は、弥生時代中・後期に当るが、九州や関東、北陸地方など畿内から遠く離れた地域では古墳時代前期に営まれた方形周溝墓が最も多く、この時期が盛行期といえる。昭和四七年にまとめられた金井塚良一氏の統計によれば、関東の四四遺跡中三七遺跡までが古墳時代前期に属し、とりわけ武蔵野台地の弥生時代方形周溝墓はわずかで、出土土器によって弥生時代後期に属するとされる方形周溝墓のうちにも、関東で古墳出現の頃と考えられるものも少なくない。
 方形周溝墓は大規模墳丘の古墳が現われても、関東の弥生時代以来の伝統的墓制として集落の首長層に広がり、彼らの集落の隣接地に営まれた。単独に営まれることは稀れで、数基から十数基が群集している。副葬品は畿内的古墳に比べて著しく貧弱で、顕著なものとして周溝から発見される五領式土器の壺各種、高坏、器台など祭祀に用いられた土器があげられる。前述の初期古墳では周溝からの土器出土は方形周溝墓と変らないが、墳丘頂からの発見も多く、この点は方形周溝墓との違いといえるかも知れない。このことは祭祀形態の相異を意味しているのではなかろうか。
 方形周溝墓は元来座布団状の墳丘をもったものであり、永い間に墳丘を失ない方形周溝のみが確認されるため、古墳と区別されている。古墳時代前期に属する方墳は、今日ではめずらしくなく、古墳時代の方形周溝墓は古墳として把えることも可能であろう。実際、千葉県請西遺跡で知られたような古墳時代末期の方形周溝墓や座布団状の墳丘や高塚をもった方墳などがあって、方形周溝墓との区別が難しくなっている。また、墳丘を失ない周溝のみとなった地下式の横穴式石室をもつ方墳も多い。
 関東地方における古墳時代前期の方形周溝墓の被葬者は、ますます激しくなった集落の階層分化によって生れた小集団の指導者で、畿内的古墳を築造した、強力な権力をもった首長の支配下に組み入れられた人々ではないかと思われる。
 いちはやく階層分化した交通の要地にあった人々は、畿内政権下の地方首長に成長し、在地性の強い古墳を営んだ首長は、方形周溝墓の被葬者層から成長した人々であり、地方首長の支配下に入らず自ら独立した小支配領域をもち、古墳時代になっても方形周溝墓を営み、あるいは営み始めた首長層は、彼らが古墳を採用した時点でも大規模墳丘と豊富な副葬品をもつことなく、在地性の強い小規模古墳群を形成していたと認められる。