東歌は、『万葉集』全二〇巻のうち、巻一四として編まれているが(註一)、その成立の背景として、つぎのような事情が考えられる。すなわち、都の人びとは辺地である東国の風俗に接するにつれて、しだいに強く東国に興味をもっていった。『万葉集』の時期としては、もう後期か末期に属する時期である。都の歌は、しだいに自然の枯れはてた頽廃的な、技巧によって評価が左右されるものとなっていた。そんなとき都人の目にとまったのが東歌であった。そこには、自然のなかに生き自然とともに生きる人びとの、かげりのない野性のたくましさが光っていた。それは、都に生きる人びとの所有しえない純朴な世界の美しさだった。ここに、東歌が『万葉集』にとりいれられるきっかけがあった。
古代国家の発展にともない、文化や教養によって本来の人間性が失われはじめていた都の世界と違って、東歌の世界には、自然や生活にとけこんだ純真素朴な人間性が満ち満ちていた。それは、東歌の序詞の特徴である嘱目発想法(目にじかにふれているものをよみあげて思いを歌おうとする性質)と直接比喩的方法(対象に直接心をよみこむ方法)とにより、生活や労働と切り離すことのできない感動が詠出されているからである。しかもその感動は、貴族の歌の個人的な感動とは違い、共通感情を土台としての集団的普遍的なものである。つまり、東歌は生活共同体として農耕生活を営む人びとのあいだで、共通な感情を土台にして発生し伝承された集団歌謡なのである。
したがって、東歌のもつ素朴さは、けっして無技巧に表現された性質なのではなく、何代にもわたって共同体のなかで伝承されるという長い伝統において、練りに練られて完成されたものなのである。また、都ぶりも伝わってきて、それに洗練された東歌もあったはずである。
このようにして東歌は、長い間にわたって歌い磨かれ、都ぶりに培われながらそれに染まりきらなかったときに、万人を納得させうるみごとな独自の世界を作りあげたのである。