四 帰化人の文化

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 帰化人の有する知識や技術は、東国の人びとの生活にさまざまな方面で影響を及ぼした。
 そのうち、まず機織の技術と養蚕の普及発達は、前項で述べた秦氏一族によって行なわれた。これにより、『続日本紀』和銅六(七一三)年五月条の、
  相模、常陸、上野、武蔵、下野、五国調を輸す。元来是れ布なり。今より以後、〓布を並に進めしむ。
 つづいて翌年の正月条に、
  相模、常陸、上野、武蔵、下野の五国をして、始めて〓調を輸せしむ。但し布を輸さんと欲する者は之を許す。
と記されるように、これら東国の国々において、絹糸の生産がいちだんと増加したことがうかがわれる。
 鉱業の分野においても、慶雲五(七〇八)年正月に秩父郡により和銅が献上されたこと(これにより和銅元年と改号)や、秩父・児玉両郡に金山彦を奉祀する神社が存在することなどから、武蔵国でも鉱業が発達していたことを知ることができ、これも鍛冶の技術に秀でていた帰化人によって伝えられたものであろう。
 さらに、各地に建てられた寺院は、このような帰化人によってもたらされた知識や技術の結集のうえに完成されたものである。造寺にあたっての設計や建築・造瓦をはじめ、造仏のための鋳造や鍍金など、工事の進行過程全般にわたって、帰化人に負うところ大であった。
 東国の人びとの生活の基盤である農業においても、火田法などの技術が帰化人により伝えられ、そのために農作物の生産がいっそう高まった。そして、森林であった武蔵野が開拓されて広々とした草原となったのは、このような農業技術とともに牧畜の方法が帰化人によりもたらされたからである。