五 東国の馬匹文化

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 東国には勅旨牧とよばれる天皇御料の牧、すなわち馬や牛を飼う牧場が、甲斐・信濃・武蔵・上野の四国に存在した。なかでも武蔵国では、官営の牧(註一)(官牧という)として、兵部省所管の檜前馬牧と神埼(かんざき)牛牧、左馬寮所管の石川・由比・小川・立野の勅旨牧があり、古来牧畜が盛んであったことが知られる(これらの牧については後に詳述する)。そしてこのような牧は、たとえば漢人系帰化人の檜前氏が関連した檜前馬牧のように、その発展には帰化人の力が大きく関与していた。
 牛馬の飼育法や牧畜が普及するにつれ、東国では製革技法がとりいれられ、革製品の製造も行なわれるようになった。延暦九(七九〇)年に、東海道では駿河以東、東山道では信濃以東の国々に対して、蝦夷征討のための二千領におよぶ大量の革甲を製造するよう命ぜられていることからも、東国では、従来のような鹿や猪の皮革だけでなく牛馬の皮革も利用する優れた製革技法(註二)が用いられていたことがわかる。
 このような牧や皮革製造技法の発達によってもたらされた東国の馬匹文化は、こののち、荘園の発展とともに新しい土豪層を育成し、武士の勃興の重要な基盤となるのである。