風字硯(経塚下遺跡出土)
古来東国は、「あづまえみし」の国と考えられてきたが、そもそもこの「えみし」とは、どのような人間を意味するのだろうか。
「えみし」は、「えびす」ともまた「えぞ」ともいわれ、漢字では毛人・蝦夷などで表わされる(蘇我蝦夷のことを、豊浦毛人と「法王帯説」では記す)。毛人の文字は、『宋書夷蛮伝』の昇明二(四七八)年の条に記される、南宋の順帝に献じられた倭王武(すなわち雄略天皇)の上表文中に、「東征毛人五十五国」と見える。この「毛人」は、毛深い人を意味する言葉であるが、この多毛という意味により、「毛人」はアイヌ人であったと従来は推論されてきた。東北辺において日本人と境を接して居住してきた異民族のうちで、アイヌ人がもっとも毛深い民族だからという理由である。しかし、長谷部言人博士により、毛人とは、多毛人的特色をもつ代表者たるアイヌを以て、これに擬することは、無理のないことではあるが、その程度が不確実であり、多毛を毛人・蝦夷すなわちアイヌ人の証左としようとすることは、正しい態度ではないとされた(註一)。極端に毛深い人びとは、日本列島の中央部を除いた北部と南部との両端に見られるので、多毛性という点で、毛人をただちに現代のアイヌの祖先であると断定するのは、たしかに早まった論であろう。しかしながら古代においては、東国の住民が畿内の人びとに比較して毛深かったことは確かである。そこで、毛人とは、古代東国の住民一般に対する呼称なのか、それとも、東国のうちのある一部分の地域の住民を特に称したものなのか、また、その東国の範囲をどのように規定するかということを、以下に論じつつ明確にしていきたいと思う。