武蔵国駅馬 店屋・小高・大井・豊嶋各十疋
伝馬 都筑・橘樹・荏原・豊嶋各十疋
と記され、このころの東海道は、相模の浜田駅から武蔵に入り、店屋・小高・大井・豊島の四駅を通って、下総に至ったものと考えられる。武蔵国府と豊島駅とを結ぶ道は、東海道が発展して東山道がすたれたために支線化し、これにともなって、神護景雲二(七六八)年に紀広名が往来頻繁と奏した乗瀦駅も、しだいにさびれて、やがて廃されたのであろう。さきの『延喜式』駅伝馬の条に乗瀦の名が見られないのは、こうした事情によるものと考えられる。
以上のことから、武蔵国の主要交通路として、毛野国伊勢崎・武蔵国府・乗瀦・豊島・下総国井上の東山道と、相模国夷参(または浜田)・店屋・武蔵国府・乗瀦・豊島・下総国井上の旧東海道、そして、相模国浜田・店屋・小高・大井・豊島・下総国井上の新東海道が利用されていたのである。
関東地域の古代交通路線図
(坂本太郎博士による)
補註
一 乗潴駅は、埼玉県大宮市天沼とする説と、東京都杉並区天沼とする説とがあるが、交通路のうえから考えると、後者をとるほうが自然であろう。
二 豊島駅は、北区豊島とする説や、台東区浅草とする説、また文京区湯島とする説などもあるが、千代田区麹町付近とするのがもっとも自然であろう。