二 武蔵の武士団

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 武蔵を中心として、東国の住民は古来より質実剛健・勇猛果敢であると言われ、西国の防備のために防人として徴発されたり、蝦夷征討軍に徴兵されるなど、軍事面において重要な役割を果たしてきた。そしてこのような条件の上に、東国では、荘園が発達するにともなって、強力な武士団の成立を見るのである。
 第三章第三節において、東国の初期荘園が、中央の権門勢家・寺社を本所として発達したことを記したが、平安中期以降になると、これら公家領荘園のほかに武士領荘園が成立し発達するようになる。武蔵国内に分布する例をあげると、
 野与荘 南埼玉郡内牧村か。千葉基宗荘司となり、野与氏を称す。
 横山荘 八王子市内。小野篁七代の孫の孝泰が立荘。子の義孝横山太夫と称す。
 児玉荘 児玉郡児玉町。土着した有道維能の子、維行が児玉氏を称す。
 大蔵荘 比企郡管谷村大蔵。源義賢が立荘。
 畠山荘 大里郡内。秩父重能居し、その子孫が畠山氏を称す。
 江戸荘 東京都区内。河越重隆の弟、重継が領有し、江戸四郎と称す。
 小山田荘 町田市内忠生。畠山重能の弟、有重が小山田別当を称す。
 豊島荘 豊島郡。秩父武基の弟、武常が領有し、秩父六大夫と称す。
 騎西荘 北埼玉郡騎西町。道智頼基の子、光有基が領有。
 白鳥荘 秩父郡白鳥村。丹行房が領有。
 師岡荘 入間郡内。小弐頼平が領有。
 長江荘 浅草区橋場。古くは長井渡と称した。
などがみられる。
 このような武士領荘園は、古くからこの地方に土着して国府の在庁官人となっていたような豪族の出身者か、その縁故者によって開拓された荘園である。
 東国武士団の発生に関連の深いものとして、いまひとつ、牧の発達がある(第三章第四節参照)。律令制下における官牧(公営牧場)については、『大宝令』の「厩牧令」や、『延喜式』の「左馬寮式」などに見えるが、武蔵国には、
 檜前馬牧 東京都浅草付近か。
 神崎牛牧 檜前馬牧に近く東京湾沿岸の地域か。
 石川牧
 由比牧 八王子市由井町から南多摩郡由木村にかけての地。のちに西宗弘が別当となり由井別当と称す。
 小川牧 秋川市大字小川の地。小川太郎入道が管領。
 立野牧
以上六牧が置かれていた。そしてこれら官牧のほかに、その補填用の牛馬を飼育するための私牧が、官牧のそばに営まれていた。武蔵国では、
 秩父牧 秩父郡下吉田村字牧林。秩父将常が領有し、その子、武基が別当となる。
 石田牧 秩父郡内の地か。
 小野牧 横山庄内。横山資孝が別当となり領有。
 阿久原牧 児玉郡若泉村。皇室御料の阿久原牧を児玉維行が管領し、若泉庄と称す。
以上四カ所の私牧があった。

東国武士団と牧の分布図
(桜井正信氏による)

 このように、別当あるいは牧監として、官牧を現地において主管した豪族たちが、この官牧に付随した私牧の経営にたずさわり、馬匹を掌中におさめたことも、荘園の発達とともに、いわゆる坂東武士団が成立・発展するうえで重要な基盤となったのである。