E 二宮氏

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 小川宗弘の弟小川四郎の孫某が、西多摩郡二宮に居住して二宮太郎と称したという。『吾妻鏡』にみえる二宮弥次郎時光・二宮三郎兵衛尉・二宮左衛門太郎等はその一族であろう。
 現在二宮城址と呼ばれるところが、秋川市内に二ヶ所ある。一つは秋川市字稲荷前の御屋敷(おおやしき)といわれる地(多摩川原に突出した段丘台地)であり、他は秋川市の二宮神社境内とその周辺の地(多摩川と秋川に挾まれ、それらの合流点に近い台地)である。ともに城址と確認できるいくつかの根拠をみい出すことができる。そこで小室栄一氏は次のように推測されている。つまり前者の御屋敷の館址が、西党二宮氏の生活の跡であって、後者の二宮神社境内一帯の地は、延文元(一三五六)年に大石信重が二宮の地に移った際の居館の跡であろうと述べられている(註五)。しかし大石氏の二宮城址については、従来諸説(秋川市二宮説・高月城説・金鑚二宮説(註六))があって、いまだ決定をみていない。大石氏二宮城址問題は、とくに秋川市二宮説の場合に二宮氏の館址とも係わる問題なので、今後の研究に期待したい。
 補註
 一 ここでは「西氏系図」をあげた(一部省略した箇所もある)が、「武蔵七党系図」の中の「西党系図」と比較すると、そこには若干の相違がみられる。その箇所を……印(「西党系図」)で示して参考に資した。
 二 『島津家旧典類聚諸家大概記』
 三 立川市史編纂委員会編『立川市史』六一七~六一八頁。
 四 小室栄一『中世城郭の研究』一八頁、人物往来社 昭40。
 五 註四 四九~五〇頁。
 六 杉山博・栗原仲道編『大石氏の研究』二三三~二三五頁、名著出版 昭50。