館の内部(『慕帰絵詞』より)
母屋から南側に突き出した一室を「遠侍(とおざむらい)」といって、家人(けにん)とか郎党とか呼ばれた館の従者たちの詰所である。彼等は輪番で当直としてここへ詰める。非番の男たちは中庭で武器の手入れや、武芸の練習に余念がない。弓・矢・太刀といった武士の〝商売道具〟は、このように絶えず手入され、すぐ使えるよう絶えず準備されているのである。勿論、寝る時には枕許に刀を離さない。主人夫婦の寝室には大幕を引廻し、外部から矢を射込まれた時の用心とする。従者たちは日中の当直のほか、夜は交替で母屋に宿直し、或は不寝番として館の要所に立って警戒に当るのである。そして主人や従者は狩に出たり、母屋の裏や館の外側に設けられた馬場で常に馬術や弓術の訓練を怠らない。現在では古武術のショウとして演じられる流鏑馬(やぶさめ)や小笠懸といったゲームは、武士の腕をみがくための訓練課目であった。臨戦体制という館の生活の基本姿勢は、このように日常のあらゆる面に反映してくる。
何故このように、館にあっては毎日が戦の姿勢でなくてはいけなかったのだろうか。謡曲「鉢木」では佐野常世の台辞として、
「自然(もしも)鎌倉に御大事あらば、ちぎれたりとも此腹巻を着、錆たりともその長刀をよこたへ、痩たりともあの馬に打乗り、一番に馳せ参じ……」
という関東武士の心意気を述べているが、そのための備えというのはあくまでも表向きの理由でしかない。武士は自分の支配する所領は実力で守って外敵の侵略から防ぎ、土地から毎年確実に年貢を取立ててゆかなければならない。そのためにこそこのような武力を持つことが要求されたのであった。