A 奉公人

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 滝山領の権力機構の中枢に位置したのは奉行人であった。かれらは支領主北条氏照の片腕となって滝山領の経営に参加したのである。
 氏照の奉行人は、氏照印判状の初見である永祿二年一一月一〇日のそれをみると、布施・横地の二人が、氏照の意を奉じて祢宜職安堵のことを行なっている(前掲)。この布施と横地は、布施兵庫大夫・横地監物丞のことであるが、二人は、『小田原衆所領役帳』によると、御馬廻衆であった。御馬廻衆は、後北条氏の譜代直臣層によって形成された当主の親衛隊である。氏照の支領支配の開始に当たって、後北条氏の譜代直臣が補佐として、氏照に附属せしめられたのである。
 このほかに氏照の奉行人は、天正一八(一五九〇)年までに一七人が確認できる(『北条氏照文書集』・『大石氏の研究』)。そのなかには大石左馬助・大石信濃守・大石四郎右衛門尉・大石筑前守の四人の大石姓の奉行人が含まれているが、かれらは服属した大石氏の一族であったと考えられる。大石一族の奉行人を加えることで、旧大石領とその家臣にたいする後北条権力の貫徹がはかられたのであろう。
 このように、氏照の奉行人は、後北条氏の譜代直臣と大石氏旧臣の両者から構成されていた、といえる。かれらが滝山衆(氏照家臣団)の統制と滝山領の在地支配の中核をになっていたのである。