B 村の経費

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 村入用は、村落を運営するために必要な費用のことである。その項目と費用を記載した帳簿を村入用帳とよんでいる。それをみると、その村の一年間の支出状況がわかる。
 上川原村の寛政四(一七九二)年の村入用帳を示そう。
    子年村入用帳
          多摩郡上川原村
   一五百八拾八文  年中紙筆墨代
   一五百文     御高札修覆入用
   一八百五拾文   御鷹場入用
   一二百文     夜ニ入御廻状継送蝋〓代
   一八百五拾文   四季打鉄砲之儀ニ付間違以差紙飛脚賃銭
   一二百文     盲女座頭合力
   一五百文     年中諸勧化差出申候
   一四貫九百文   御用ニ付江戸表え罷出候雑用費七度分
   一六百文     三季御年貢御上納之節途中迄役馬賃銭
   一二百文     宗門帳五人組帳入用
   一二百文     戍年村勘定ニ罷出候出銭
   一四百文     絵図面仕立諸入用
   一七百文     御年貢皆済勘定ノ節年寄百姓代薪代
   一金二両二分   名主役給
   一金二分     年寄役給
    右之寄金三両ト拾貫六百八拾八文
   右者去子年村入用之儀、年寄惣百姓立合勘定仕候、其上出作小前者銘々帳面筆毎相改候故、無益之入用無御座候、依之小前銘々印形仕差立申候、以上、
                藤蔵印
                (外三十九名連印省略)
    寛政五年丑三月
                                              (指田万吉家文書)
 支出の筆頭は、名主給・組頭給とよばれる村役人の給料である。
 ついで村役人の出張費が大きい。幕領の上川原村は、江戸の代官屋敷まで村役人が出むき御用を済ませることがあった。そのときの旅費である。この年は、七回出張し、一回に七〇〇文かかった。
 年貢上納関係としては、「三季御年貢御上納」云々は、年貢を年三回にわけて納めたので、そのときの駄賃。一回二〇〇文かかった。そのほか、年貢勘定のために代官屋敷へ出かけたときの費用二〇〇文と、年貢納入時の薪代七〇〇文、などである。
 御鷹場入用は尾張藩の鷹場であったために要する費用である。ここでの細目は判明しないが、上川原村が尾張藩から下付された鷹場札の一枚を毎年正月、鷹場陣屋で新しい鑑札と交換するための費用とか、鷹場内では鉄砲の使用が禁止されていたが、農作物を荒す動物退治のために、その許可をえるための費用(宝暦元年の同村入用帳に猪鹿追口金一分がある)、などであった。「四季打鉄砲之儀ニ付間違以差紙飛脚賃銭」は後者に該当する。
 寺社に対する勧化やごぜ・座頭に対する布施は村として行なった。
 事務経費としての紙・筆・墨代。またこの年は、高札の修理、宗門人別改帳・五人組帳・絵図の作成などに費用がかかった。
 以上の金三両と一〇貫六八八文の村入用を、どのように負担するかは、村民にとって重大問題であった。割当方法には高割と家割の二通りがあるが、家割は小高持百姓になるほど過重な負担となる。そこで通例、持高に応じた高割がとられた。当村の宝暦元(一七五一)年の村入用帳では、「惣高之内ニテ六石名主役ニ引残り高割壱石ニ付銭百廿壱文」と、高割(一石に付銭一二一文)であった(指田万吉家文書)。
 以上のように、村入用はほとんど、対領主との関係において支出された。ここには村の再生産のために振りむけられる部分はみられない。