第1表は、土性の善悪を示したものである。上(じょう)の土性とは「重くして柔和(やはらか)に、膏〓ありて握り固めても手に著ざる」(『農政本論』)ものとされていた。関東地方は一般的に、「土軽く、風に吹き立られて、作物の根あらはれ、実入りの弱き土地多し、都て秤量(めかた)の甚だ軽きは下々の地なり」(『農政本論』)、「田畑とも並の坪に、上もあり下々もありて善悪入交りなり」(『地方凡例録』)と評されており、土性は良くないとみられていた。
第1表 土性の評価一覧
さて、昭島市域の土性をみていこう。第2表は、『新編武蔵風土記稿』の記載から作成したものである。土性の表記は簡単で、「真土(まつち)」と「野土(のつち)」とに大別できる。真土は良質な土性、野土は悪質とみることができる。全体的な傾向として、市域の東部ほど、また多摩川に近いほど、良質な土性であったことが明らかになる。これは、市域内村々の開発経過と合致しており、良質な土性の場所は早くから開墾され、村の景観が近世初頭に出来あがっていた地域である。また野土が多くなるほど開墾は近世以降にもちこされ、いわゆる新田地域を形成している。
第2表 昭島市域の村々の土性
田中村の場合は、第2表によれば「真土或は砂利交り、(新田は)黒赤錯れり」とある。この村の寛政一一(一七九九)年の村明細帳(史料編三〇)には、「土性ハ黒土、赤土交り之麁地ニ御座候、田方ハ砂交りニ而地浅ニ御座候」と記されている。多摩川沿いの田は「砂利交り」・「砂交りニ而地浅」の土性であった。これは『農政本論』によれば「山川の傍」にある土性の特質であり、この土性について、佐藤信淵はつぎのように記している。
凡そ何等善き真土の田地にても、一二尺底の石畳(いしはら)なるは、古き河原の地にて水の持宜しからず、且肥養を用ひ過ぎるときは、草延び過ぎて倒れ易く、又肥養の少きときは実入の悪きを以て、年々客土(やとひつち)を加入れざるを得ず、故に斯の如き土は豊作することありと雖も中以下の位なり、
すなわち、表面がいくら上質の真土であっても、すぐ下が河原石であるならば、古くは河原であったため水の持ちが悪い。また、肥料が多すぎるときは作物が延びすぎて倒れやすくなり、肥料が少なすぎれば穀物の実の成熟が悪く、毎年他所から土を補充しなければならない。つまりこのような土性は豊作になることがあったとしても、中以下の土性である。というのである。
昭島市域の土性は、武蔵野台地方面の畑方は瘠せており、河川敷の田方は労苦が多く、しかも第三章第一節で述べるように頻繁に旱損・洪水の被害を蒙った。総じていえば、農業経営の維持・発展にとって、必ずしも適した土性ではなかった。