B 天保期以前の商業活動

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 先にのべたように近世の中野家の商業活動が具体的にわかるのは、天保期だけである。それ以前には、断片的史料しかない。その初出は「明和三年正味小遣引合帳」である。この史料をまとめたものが第1表である。表のうち正味方とあるのが収入であり、小遣方が支出である。

第1表 明和期の商業活動

 意味のとりきれない部分が多い帳面であるが、次のことは確認されるであろう。この期の経営が、織物仲買、質営業と酒造および酒販売によって構成されていることである。商業経営の規模は、三五〇両程度であるから、とりわけ大きいとはいいにくい。
 全体として次のように推定してよいと考える。中野家は、村落上層農民の常として、農業経営のかたわらで商業活動を営んでいた。その商業活動は、畑作農村であるが故に生じる米の小売、村民の需要に応える酒造、そして畑方年貢が金納であることや、商品流通の展開にともなって必要とされた村内金融である質営業から出発した。そして、この期の経営は、まだそれらの商業を残しながらも、ようやく発展をはじめた縞織物の仲買活動をはじめていった。この縞仲買活動をいつからはじめたのかは明確ではないが、明和三(一七六六)年には、経営全体に占める比重はきわめて高いものとなっていた。
 ところで、明和三年の縞仲買活動が、このような状況であったということは、注目される現象である。『八王子織物史』上巻によれば、八王子地方一帯で縞織物が本格的な商品生産として発展するのは、宝暦頃であったといわれている。明和は宝暦の次の元号である。このような早い時期に積極的に縞仲買経営を展開したという先見の明があったればこそ、その後の中野家の発展が保障されたのであろう。