現在中野家に残されている史料のなかで、『諸用日記控』と題されているものがある。残念なことに、文政一一(一八二八)天保三(一八三二)年・天保五年の各年次しかないが、豪農の生活を知る上で格好の史料といえよう。なぜならば、その行動がほぼ毎日、短い文章でつづられているからである。
近世期に書かれた日記の多くがそうでのるように、彼は事実を淡々と記すのみであり、感想めいた文章は見られない。それゆえに、この日記の筆者七代中野久次郎の意識までは分折しえないが、生活のさまはかえってあきらかとなる。
『諸用日記控』の記述を大別すれば、(一)商業関係、(二)農業、(三)村役人としての活動、(四)その他(冠婚葬祭など村の日常生活)になる。そこで各項目について簡単にまとめてみよう。