手作経営に関する記述

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商業に関する記述が豊富であるのに反し、農業経営についての記述は少ない。これは『日記』の筆者久次郎が農業経営に関して、ほとんど関心を示していないことの反映である。だがこれは、中野家が農業経営をしていないということを意味するものではないことは論をまたない。なぜならば、天保前半期の中野家は、六五~七〇石の所持高があり、市域で最大の土地所持者だったからである。
 ではこの土地はどうしたのか。いうまでもなく、その大部分は小作に出し、中野家が下男などを使役して耕作する部分(手作とよぶ)はわずかだったからである。「手作」した耕作物の種類は『日記』によるかぎりでは米・麦・芋などである。おそらく中野家の自家用であったろう。わずかに茄子の苗を購入し、植えつけていることが、大消費地江戸の近効農村の農民らしい側面をのどかせるだけである。養蚕業については、天保三年のものに桑苗一〇〇本と二度にわたる市でのまゆ買の記述がある。その評価については後述したい。