うちつづく不幸

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ではなにゆえに、昭島市域最大の商人・地主であった中野家が、急速に衰退していったのであろうか。先にみた書簡は「不仕合引続キ」として、祖父・父の死亡や打こわしの被害という連続して生じた不幸をあげていた。たしかに幕末・維新期には、中野家に不幸がつづいた。肉親の死亡や一揆はその最たるものであるが、その他にもあったのである。
 たとえば、慶応三年二月に、誠忠隊青旗組という集団が、金銭を強要してきた。あるいは、同四年閏四月には、江戸から帰る途中の久次郎の弟と召使二人が盗賊に襲われ、三三二両余を奪われたのである。まさに「泣きつらに蜂」である。
 だが、倒産にいたるのは、いかに不幸がつづいたとて、そこに理由を求めることはできない。経営そのものに重大な欠陥があったのである。まず第一に、返済のみこみのない貸付金問題を考えてみたい。