G 『露草双紙』のあらすじと、勧善懲悪の人間群像

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 物語は、「今はむかし永禄の頃とかや、駿河の国宇津の谷峠の傍に、穂村十市良といへる武士の浪人ありけり」で始められる。物語の舞台は駿河国にはじまり、関東・東北に展開する。主人公千草之助が弘治三(一五五七)年生れ、弟三田郎が永禄二(一五五九)年生れ、一六世紀後半戦国時代の話として想定されている。
 登場人物をあげてゆくと、まず巻頭では、さきに紹介した小悪党駄太平が登場する。駄太平のしかけたわなに苦しむ狐を慈悲深く助けたために、うらみをかい、駄太平の手で非業の死をとげる穂村十市良。新田義貞に主家北条氏をほろぼされた浪人の末裔で、勇気・廉直・慈悲・謹厚という徳目を理想的にかねそなえ、自分は手習を教え、妻の蔦(つた)は団子売りをして生活を支えている、という話になっている。十市良・蔦には三歳の長男千草之助と生れたばかりの次男三田郎がいるが、父の横死とそれゆえの母の狂気で野原に放置される。三田郎は、父の助けた狐の恩返しで救われて農婦にそだてられ、全国行脚中に兄とは知らずに千草之助を助ける役割をはたす。千草助は先祖伝来の「妖魔切」の名刀とともに野に放置されるが、滝山城主北条氏照の家臣で、跡取りのいない竪野広之進久行という武士に、神蝶のひきあわせで拾われ、「聰明怜悧人に秀れ、もろもろの武芸に通じ、しかのみならず風流文雅のこころざしふかく、養父母に孝をつくし」という理想的な青年武士に成長する。
 以下物語は、この千草之助久世を主人公に、波瀾万丈の展開をくりひろげることになる。
 話は天正二年、まず多摩川に鵜飼の舟遊び中に舟のまま流されてゆく千草之助を、とっさの機転で岸に救いあげて以来無垢な恋におちる美しい乙女小露が登場する。小露の父は、多摩川に布のさらし業を営なむ調布屋布田右衛門、鵜飼といい調布といいいかにも多摩郡らしい話のはこびである。恋の病におちた小露は、保養に出かけ比企郡岩殿観音に詣でるが、ここで小露をおそう悪徒としてふたたび登場するのが駄太平。小露の危難をあやういところで救う勇者が、狭山が池のほとりに住む〓山(さやま)次右衛門という人物、しかも次右衛門は、布田衛門・広之進とは旧今川家臣時代の同輩仲間とわかり、旧交を暖めあうとともに、千草之助と小露の将来のちぎりも結ばれることになった。
 ところがここに、最大の悪玉が登場する。千草之助の父広之進と同じく北条氏照の家臣の横路慳九郎である。名前からしていかにも悪人らしい慳九郎は「力量人に勝れ、邪見放逸にして、更に憐の心なく……童幼の戯言にも邪見九郎と異名せし程の悪者」の典型としてえがかれている。主人氏照からも嫌われて謀反をたくらむが、忠臣広之進と千草助のもつ「妖魔切」の宝劔にさまたげられたとして、ついに広之進を殺害したうえに、千草之助から名剣をうばおうとすきをねらう。その子分も、広之進の忠節を助ける布田右衛門を殺害する。以後物語は、養父義父の仇を追いながら悪玉に半死半生の目にあわされる千草之助と、これを慕って追う小露を中心に舞台は関東から東北へひろがってゆく。
 悪玉の方には、横路樫九郎の協力者として、妖術をつかう邪悪の美少年〓角(つのがみ)がいる。美少年実は狭山が池の大蛇。岩殿観音のかえり道に池畔をとおりかかった小露に横恋慕してたびたびこれを襲い、次右衛門にはばまれて思いをはたせないまま、千草之助・小露を狙って慳九郎の仲間になっている。さらに巻末では、主家を追われた慳九郎は山賊穴渕白闇(しらくら)を名のるようになっているが、たまたまその子分にひろわれたのが、千草之助実父の仇の駄太平。そのほか子分に闇八・釜平・布田衛門殺害下手人土左衛門など名からいかにも悪党らしいのがそろっている。さらに悪玉の脇役悪女として、次右衛門の先妻の娘国子を追い出そうとする後妻岨根(そばね)、これと不義の関係を結ぶとともに国子追出しに一役を買う甲州浪人並木重太。重太は実は慳九郎の腹ちがいの弟なのだが、それと知らず慳九郎は、旅先で追手の目をくらますため自分の身替りに重太を殺してしまう。
 こうした善玉・悪玉の私怨や仇討・不義・殺害の入組むなかで、宝劔を奪われその守護力を失った千草之助を、兄とは知らないまま、〓角の妖術による半死半生の状態から救い出すのが実の弟の三田郎。三田郎は八王子山村の炭焼として育ち「幼稚より力量強く、草木に木刀をうちて劔術の意を悟り、灰に文字を書きて是を習い、才衆に秀て勇あり、されど父母なくしてたつき(よるべ)なき身は蓑虫の父恋しと啼、我は母迄慕しく、元より釈門に入らん事を願、導師とも頼べきよき聖(ひじり)あらば尋ばや」と諸国を行脚中。在村的な育ちの求道心にとむ理想的な人間像としてえがかれている。
 物語の最後は舞台がふたたび武蔵野にもどり、善玉・悪玉が奇跡的に一堂に会することとなる。まずはなればなれでお互いに知らなかった千草之助・三田郎そしてその実母の蔦がめぐりあえて母子・兄弟であることが判明する。折から近くにやってきた慳九郎・駄太平らと対決し、次右衛門らの助太刀で主人公たちの敵討の本懐がとげられる。
 このときに、善悪一同を一堂にひきつける役をはたすのが、まず巻頭で千草之助の実父穂村十市良に命をたすけられた狐。狐はこれまでもひそかに千草之助・三田郎を守りつづけながら、妖艶な女盗賊武蔵野逃水に姿をかえ、その性的誘惑で同じ盗賊仲間の慳九郎ら悪玉一同をおびきよせる、という話になっている。
 もう一人奇跡的な助力をするのが、修業行脚中の三田郎が出会ってよき導師と見込んで師事する一所不住の高僧真国(しんこく)上人。実は千草之助先祖伝来の真国(まさくに)の銘をもつ宝劔の姿をかえた助力とわかる。こうして奇跡・奇瑞の連続で悪玉はほろび善玉はめでたしめでたしとなり、物語は大団円をむかえる。六巻二〇話の長い物語は
 
  扨(さて)は其事此事をおもふに、みな彼(かの)狐のなす所なりと、各々感激し、敵(かたき)慳九郎駄太平が頭(こうべ)を家土産とし、養父実父の墓に手向、主君氏照朝臣へ訴ふるに、殿にも其誉(そのほまれ)を感じ給ひ、千草之助は竪野の家を再興し、朱地(ちぎよう)元の如くに加恩を賜り……三田郎も穂村の家名をなのり、兄とともに氏照朝臣に仕、忠勤を尽し……是皆狐の恩儀、妖魔切の位徳、又は当国高尾山飯縄権現の恩頼なり……皆権現の賞罰の正しき故なりとて各々拝謝し、信心怠りなかりしとや、又千草之助の実母蔦は尼となり……誠の大道心となり、よく終りをとげけるとぞ、
 
と結ばれておわっている。
 どうやら、この長編物語のあらすじだけでも十分に紹介するのは、困難なことのようだ。幕末社会の善悪錯綜する不安定な状態の人々にどのような気持で書き写され、読まれ語りつがれていったかを深く思いやりながら、化政期の郷地村不老軒うたゝ翁のあらわしたこの物語を、まずは実際に読んでみることをすすめたい。現在は、その活字本が『未刊随筆百種』第十四(昭和三年初版発行、昭和四十四年複製版発行)に、三田村鳶魚の校訂で収録されている。
 同書解題に収録された天野佐一郎氏(八王子市)の調査によれば、挿絵のところが白紙のままの筆写本が、うたゝ宮崎氏の姻戚である八王子市八幡町の大久保治三郎氏に所蔵され、挿絵の入ったおそらくは版下用と思われる稿本が、うたた五世の孫宮崎健一郎氏宅に門外不出として秘蔵されていた、という。出版は確認されていない。
 昭島市教育委員会編『昭島市の文化財』によれば、市指定文化財の原本は宮崎直次郎家に保存されている。今後、幕末社会における在村文化の一端を示すものとして、読まれる機会の多くなることを期待したい。
 こうして近世の在村文化は、多摩郡の一小村にも「読本」の成立を見せるほどに、中央・地方をとわず全国的なレベルで成長をつづけていたのである。たとえ勧善懲悪の封建教学の範囲内であれ、文学という仮構~空想~ロマンの世界に遊ぶことをいったん知ってしまった村人たちの精神は、もはやもとに戻ることはなかった。やがて坪内逍遙『小説神随』(明治十八年)で勧善懲悪という道徳の文学へのもちこみが否定され、理知的な写実主義の主張によって近代文学の開拓期をむかえると、より高く広い文学の世界を人々は求めてゆく。多摩郡もさまざまな文学者を生みながら、国民文学の時代を歩んでゆくのである。まず天然理心流で昭島の豪農連と同門であった落合源一郎の子、国学者で詩人の落合直文(第四章第四節三参照)がいる。また三多摩地方の自由民権運動家群に身を投じてくるローマン主義文学者北村透谷もかかわりがあった(色川大吉『新編明治精神史』参照)。昭島にほど近い羽村に生れ、一九一三年から四一年まで三〇年近い年月をかけて著述された『大菩薩峠』をのこし、土着的な立場から国民文学の樹立に孤軍奪闘した中里介山も欠かすことはできない(鹿野政直『大正デモクラシーの底流』参照)。このようにみてくると、多摩の育てた「近代文学」は、理知的で都市的で文明的であるよりも、情念的で土着的で土俗的な志向がつよかったようである。
 いずれにせよこうした国民文学の一つの土台となったもの、それが近世末期における在村文化であり、その一翼をになったのは在村的読本作家不老軒うたゝと『露草双紙』、およびその協力者在村文化人と読者庶民層であった。
 近世末期、昭島市域の村々は、こうして国民文学誕生前夜にまでさしかかっていたのである。