どちらのばあいも、「おかげまいり」の群集参詣の年をはずれている。各家で一生に一度はお伊勢詣りをしなければならない、という伝統的・習慣的な考えでおこなわれた旅行で、計画的に農閑期をえらんで出発し、二月中旬までには帰着している。したがって「封建制下の民衆の、宗教的な形態のもとでの、一種の自己解放」(藤谷俊雄前掲書一四三頁)の性格をもつ「おかげまいり」が、三~四月から五~六月(旧暦)にかけて農繁期に爆発的におこり(同前)、むしろ農作業・家業を放棄する傾向があるのとくらべれば、「自己解放」の衝動による側面はよわかったといえよう。
しかし、物見遊山をもかねた寺社参詣の旅は、たんに信仰圏の拡大ということだけではすまなかった。
まずなによりも、村の外の空間に遠くまで出てゆくことに大きな意味があった。ふだん往来のある多摩の経済圏や江戸とも遠くはなれた、未知の場所にゆくことであり、日常の秩序・習慣・束縛などから、ひろくいえば封建秩序からぬけでてゆくことであった。それは最大の娯楽であり、日常は十分にかなえられない知的な好奇心を満足させることでもあった。知識の拡大であり精神世界の拡大であった。分権的な藩体制や幕府膝下の関東領国体制をこえて、日本を一つの民族体として意識することに通ずる行為でもあった。
したがって、「おかげまいり」ほど強烈な形ではないが、ひろい意味でやはり「封建制下の………一種の自己解放」にぞくするものであったろう。ここで、道中日記の記述をとおして、人々の信仰心の多様化~流動化~拡大化ないしは「一種の自己解放」のようすを、かいまみることにしよう。