C 南畝の日記・記録類

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 玉川巡視は、文化五年一二月一六日江戸を出てから四月三日帰任するまで足かけ五ケ月にわたったが、筆まめの南畝は、そのあいだに六部一九冊におよぶ記録をのこしたという。そのうち、昭島市域の村についてふれているものは、つぎの四冊である。
  調布日記 三巻 (日記)
  玉川披砂 二巻 (社寺などの記録)
  玉川砂利 一巻 (随筆)
  向丘閑話 二巻 (随筆)
もっとも量の多いのは、『調布日記』であるがその末尾に記されている行程をみると、つぎのとおりである。(以下すべて引用は『新百家説林 蜀山人全集』による)
  十二月十六日   川崎宿  十七日  同
     十八日雨  同    十九日夜雪小杉村
     廿日    宿河原村 廿一日  等々力村
     廿二日夜地震古市場村 廿三日  八幡塚村
     廿四日   同    廿五日  川崎宿
     廿六日   矢口村  廿七日  宿河原村
     廿八日   是政村  廿九日  同
  己巳正月元日   是政村  二日  日野本郷
     三日    拝島村  四日  同
     五日    豊田村  六日   府中宿
     七日    同    八日 夜雪登戸村
     九日    川崎宿萬年屋十日  八幡塚村
     十一日   同    十二日  同
     十三日   峰村   十四日雨風同
     十五日   同    十六日  登戸村
     十七日   同    十八日  同
     十九日   同    廿日   同
     廿一日   同    廿二日  同
     廿三日   同    廿四日雨 同
     廿五日   宮内村  廿六日  川崎宿
     廿七日   同    廿八日  同
     廿九日夜雨 小机村  三十日  川崎宿
    二月朔日(ついたち)雨 同 二日風 羽田村
     三日  同    四日   同
     五日風   峰村   六日   同
     七日風   古川村  八日風 川崎宿
     九日    同    十日  瀬田村
     十一日   是政村  十二日  拝島村
     十三日雨  同    十四日  同
     十五日夜風 中野村  十六日  豊田村
     十七日   日野本郷 十八日雨 同
     十九日   柴崎村  廿日   同
     廿一日   本宿村小野宮 廿二日 同
     廿三日   府中宿  廿四日  同
     廿五日   上布田村 廿六日  同
     廿七日   同    廿八日  同
     廿九日   府中宿  卅日   同
    三月朔日   登戸村  二日風 大蔵村
     三日    同    四日  中丸子村
     五日    羽田村  六日  同
     七日    同    八日  同
     九日風   稲荷新田 十日  市場村
     十一日夜雨 小机村  十二日  市場村瀬田村頼なり
     十三日   同    十四日  古川村
     十五日   中丸子村 十六日雨 同
     十七日   峰村   十八日雨 同
     十九日   同    廿日小雨同
     廿一日   瀬田村  廿二日  宇奈根村
     廿三日   喜多見村 廿四日小雨下布田村
     廿五日   是政村  廿六日雨 同
     廿七日   日野本郷 廿八日  拝島村
     廿九日   同
    四月朔日   登戸村   二日  川崎宿
     三日    帰府
 これによると、川崎宿から登戸あたりまでの下流域は六往復ほど、府中から拝島までの中流域では三往復ほどの巡察旅行をつづけていることになる。昭島市域にやってきて宿泊滞在したのは、文化七年正月三~四日、二月一二~一四日、三月二八~二九日の三回である。
 ここで、しばらく、南畝の記述に目をとおしてみよう。まず正月三日はじめて市域に足をふみいれたときはこうである。