免許皆伝まで行った昭島市域ただ一人の記載例をあげてみよう(以下史料編一九〇参照)。
拝島村大沢勝次郎の神文許控
こうした記載形式の『門弟神文許控帳』にのっていた昭島市域の村名と村民は、つぎのとおりである。いずれも各村の村役人層にぞくする豪農商層のものである(番号は便宜につけたもの)。
右のうち(一)(二)、(四)(五)(六)、(八)(九)(十)(十一)(十二)は、それぞれさそいあって入門したかのように名簿上で一連となって記されている。
(一)(二)(三)(四)(五)は、そろって天保一〇年三月に切紙、一五年二月に序目録の資格をえた。(六)は一〇年四月切紙、一四年一一月序目録をえた。それ以上に進んだのは(十)のみ一人。これらのほかは入門年月日だけしか記されていない。
入門年度をみると、天保九・一〇年と一五年に集中している。この時期の昭島におそらく武芸習得に人々を馳りたてるような事情があったに相違ない。それについては、あとで多摩郡全体の入門者の傾向とあわせて考えてみたい。
大神村中村啓蔵の神文許控