E 戸吹村松崎道場門人帳のばあい

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 戸吹村松崎道場の門人帳は、『門弟神文許控帳』と題されたものである。一五×二〇センチの和紙を横綴じにしたもので全四冊。表紙のないものもある。前半は、一頁に一人分をあてて、出身村名・身分・姓名・入門年月日を記したあと、剣術の習得課程をすすんでゆくにつれて受けた資格と、その取得年月日を記してある。さいごの免許皆伝まで行けた門人が一二~三人に一人ぐらいの割合でみつかる。後半の万延元(一八六〇)年以後には、一ページに何人分もまとめて、ただ入門年月日・村名・姓名を記しただけのかんたんなものになっている。
 免許皆伝まで行った昭島市域ただ一人の記載例をあげてみよう(以下史料編一九〇参照)。

拝島村大沢勝次郎の神文許控


 

 こうした記載形式の『門弟神文許控帳』にのっていた昭島市域の村名と村民は、つぎのとおりである。いずれも各村の村役人層にぞくする豪農商層のものである(番号は便宜につけたもの)。

 

 右のうち(一)(二)、(四)(五)(六)、(八)(九)(十)(十一)(十二)は、それぞれさそいあって入門したかのように名簿上で一連となって記されている。
 (一)(二)(三)(四)(五)は、そろって天保一〇年三月に切紙、一五年二月に序目録の資格をえた。(六)は一〇年四月切紙、一四年一一月序目録をえた。それ以上に進んだのは(十)のみ一人。これらのほかは入門年月日だけしか記されていない。
 入門年度をみると、天保九・一〇年と一五年に集中している。この時期の昭島におそらく武芸習得に人々を馳りたてるような事情があったに相違ない。それについては、あとで多摩郡全体の入門者の傾向とあわせて考えてみたい。

大神村中村啓蔵の神文許控