A 『夜明け前』のばあい

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 「幕末の変動と在村文化」という表題を考えるとき、信州木曾谷の中仙道宿場村を舞台にした、島崎藤村の大作『夜明け前』を思いおこさずにはいられない。その随所で、幕末の政治的・社会的変動と村落社会とのかかわりについて考えさせられるが、そのなかに慶応三年の大政奉還から王政復古にかけての政治変動について、主人公と親しい人々とが語りあう場面がある。
  「まさか幕府が倒れようとは思ひませんでした。徳川の世も末になったとは思ひましたがね。」
                        (中略)
  「まあ、わたしは一晩寝て、眼がさめて見たら、もうこんな王政復古が来てゐましたよ。」
 この描写のなかに、近世終末期農村における村人の意識の少なくとも相反する二つの面がみいだされるであろう。一つは、「徳川の世も末になった」と思っていたような、時代の変化~変動を見透している面である。もう一つは、「まさか幕府が倒れようとは思」わなかったような、また「一晩寝て、眼がさめて見たら」すでに大きな変動がおわっていたことに気づくような、時代の変化~変動を先取りしかねている面である。この二面ともに、幕末農村社会に生きる村人の意識のありのままの姿であろう。昭島市域の村々のばあい、それはどのような形であらわれていたのであろうか。
 すでに、天災・飢饉・騒動など村人にとって身近な村落レベルでの私的な見聞・体験・情報を、重大なものを意識的にえらんでは書き留めていくことが、少くとも近世中期以後ひろくおこなわれていた。たとえば拝島村の村役人の一人秋山久兵衛は、天明四(一七八四)年正月の日付で、「明和安永大変天明記録」と題した冊子をかきのこしている。明和・安永・天明年間の約一五年間につづいておきた凶作状況を中心に、上昇する物価・救荒植物名などを記録にとどめたものである(史料編第八章九三参照)。また上川原村の名主指田金右衛門も、その「覚書」(同)で、断片的ではあるが天保から安政さらに慶応から明治三〇年代にいたるまでの約六〇年間の、凶作・飢饉・物価高騰・開港・コレラ流行など身近で重大な事柄をかきとめている(第三章第二節、第五章第一・四節など参照)。
 こうした村落レベルでの社会的経済的な諸変動のほかに村人の関心をひいたものとして、国家レベルでの政治的諸事件があった。とくに幕末中央政界における幕府・朝廷・尊攘派などのいりみだれるなかでひきおこされてゆく政治的諸事件については、農民に可能な手段をつくして、さまざまなルートでかなりの情報を手にいれていたらしい。ここではとくに、幕末の政争・政変・諸事件を中心に昭島の村人が--「眼がさめて見たらもうこんな」の感を禁じえないにしても--どのていどまで正確な情報をつかみながら、「徳川の世も末になった」ことを見据えていたのか、ということに焦点をしぼってみよう。
 一般に村方では、政治意識までを直接に表現した史料がのこされるのはきわめて稀であるが、村落上層の村役人豪農層のものが、支配機構をとおして公的に流されてきた情報や、私的なルートによって入手した情報をそのまま刻明にかきとめたものが多くのこされている。これらの記録類をとおしてみると、村人の意識のなかで、明らかに幕藩制国家の解体過程の一駒々々が、ふかく刻みこまれていた、と考えざるをえない。
 それぞれの事件が、公的に上から伝えられてきたものか、私的にどこからか入手したものか、また市域のどの村民にも一様に伝わっていたものかどうか、かならずしも明確ではない。いちおう市域各村の史料をひとまとめに、情報の対象になっている諸事件のおきた時代順にならべ、内容を簡単に紹介してみよう。以下とくに第五章「幕末の昭島」の項を参照しながら読みすすんでほしい。