三 青梅鉄道と昭島

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 会社設立にともない青梅鉄道は用地の買収に着手した。当初の計画では拝島~立川間の線路は直線ではなく、多摩川寄りにカーブして当時の村落地帯に建設される予定であったが、各部落の猛烈な反対にあい現在のような直線になったものといわれる。これは伝説であって史料があるわけではない。だが当時汽車の煙突から出る火の粉による火災事故がよく起ったことは確かであり、そのため鉄道建設に反対する動きも各地に多かった。
 鉄道開通後、昭島市域の村でもつぎのような火災の発生を会社にたいして訴えていた。
    申請書
  近来貴社鉄道線路ヲ運転セル汽車ノ煙突ヨリ火ヲ失シ両側ノ山林ハ之レガ為メニ焼毀ニ罹ル事屡々有之候此等ハ乗込員ノ不注意ニアルト〓トモ其責任ハ会社ニ帰スル事勿論ナレバ相当ノ要償ヲ請求スベクモ今日迄黙々ニ付シ有之候然レトモ将来貴社ニ対スル要求ノ方針ニ就テハ今回関係人ノ協議ヲ遂ケタルニ自今火ヲ失シ山林ヲ焼毀シタルトキハ事ノ大小ヲ問ハス直チニ損害ノ賠償ヲ要求可致事ニ決定仕候間此段申請仕候也         (中村保夫家文書)
 当時の農村は萱葺屋根が多く、こうした危険は現在にくらべてはるかに大きかったであろうし、明治初年二回の大火に見舞われた拝島村の例もあり、昭島市域の村々が火災にたいして敏感になっていたことはうなづけるのである。
 鉄道用地の買収では西多摩地方で反対があったが、昭島市域では建設地が本村寄りでなかったため、トラブルは生じなかったようである。昭島市域の土地買収の状況をまとめたのが第1表である。これによれば用地は畑と山林で約二町六反歩が買収されている。また買収費は畑が坪約四〇銭、山林が約二〇銭で、拝島村に設けられた停車場地は寄附によっている。

第1表 青梅鉄道線路敷地其他買上代金合計表(榎本武家文書)

 青梅鉄道の工事は明治二七(一八九四)年一月からはじめられ、同年一一月一九日営業を開始した。創業願から四年目である。このとき開業した沿線の駅は立川・拝島・福生・羽村・小作・青梅の六駅であった。
 現在の青梅線立川~拝島間には四つの駅があるが開設当時は駅はなかった。そのため拝島駅に近い村は便利になったが、立川と拝島の中間にある村にとっては、立川に出るにせよ拝島に出るにせよ、駅までの距離は遠かった。そうした不便さを解消するために立川~拝島間に駅を設けようとする動きがでてくるのは当然であった。その中心となったのは中神村である。中神村では明治二九(一八九六)年八月、中神駅設置のため処金を決議し、敷地寄附金として五円~七銭、合計九八円二一銭を徴集した。こうした動きはさらに停車場委員が生れるまでに発展した。そして村長に働きかけ、中神村のみでなく組合村全体の決議により新駅設置運動を展開した。明治三一(一八九八)年一二月、組合村有志は新駅設置を青梅鉄道に申請した。
   停車場設置之義申請書
 北多摩郡田中村上川原村大神村宮沢村中神村築地村福島村郷地村ノ八ケ村ハ貴会社鉄道拝島立川両駅之中間ニ部落ヲ為シ人口三千有余ヲ有シ近来社会ノ発展ニ伴ヒ殖産工業上ニ於テモ大ニ旧観ヲ革メ随テ東京其他各地ノ交通日ニ日ニ頻繁ヲ加フルト〓トモ鉄道ノ便ハ依然立川拝島ノ両停車場ニ由ラサルヲ得ス空シク汽車轟然疾駆スルヲ羨望スルノミ甚遺憾ノ極ニ御座候抑貴会社ニ於テ鉄道布設ノ当時私共村落ハ中央枢要ノケ所ヘ停車場設置ノ義貴会社ニ対シ懇請スルモ年益相立候テモ停車場ノ配置ハ貴会社ノ最モ周到ナル調査ヲ要スル事項ニ属スルヲ以テ其必要ノ期迫ラハ御設置相成ル事ト信ジ其侭拱手罷在候然ルニ拝島立川両駅間ハ他ノ各駅間ニ比シ最遠離区間ナルノミナラス沿道各村ハ一帯ニ部落ヲ為シ南多摩郡各村及北多摩郡砂川村以北ニ通スル枝条ノ支弁補助道等ノ開通工事モ竢工ヲ□シ百貨集散ノ景況従来ニ倍〓スル□□□ヲ以テ茲ニ停車場設置ノ必要ナル時期大ニ切迫セリ以上述ルカ如キ情況ナルヲ以テ拝島立川両駅間ニ相当ノ地ヲ卜シテ一ケ所ノ停車場御設置被成下度右者独リ此鄰各村カ便益ヲ享受スルノミナラス貴会社ノ事業上ニモ必スヤ好成蹟ヲ呈スヘク所謂一挙両得ノ方策ト深ク信認仕候間特ニ御査定ノ上私共冀望相徴シ候様致度関係村落有志協議之上此段申請仕候也
    明治三十一年十二月二十二日 各村有志連署
 
   青梅鉄道会社長 三浦泰輔殿
                                             (原茂洋治家文書)

中神停車場設置申請書

 中神駅の設置は、これから一〇年後の明治四一(一九〇八)年に入ってからであるが、こうした新駅設置運動に鉄道に対する村民の強い期待をみることができる。市域を東西に貫く青梅線は昭島の大動脈であり、それは直ちに沿線の発展を招いたとは言えないにしても、後の昭島発展の土台として、大きく寄与することになる。

大正中期の中神駅風景(川島新作氏画)